公徳心(20)幸福の道標
道徳や心理に関する最近の学びと気付きを具象化してみます。
成長欲求とは、負担を背負って成長・自立していこうとする欲求。逆に退行欲求とは、その場の満足を求めて負担から逃れたい欲求で、子供が母親に安心して甘えるような、究極的には母体回帰の欲望。(加藤諦三)
つまり、こういうことだと思います。
常に、自分の本能から湧き出てくる退行欲求に抗いながら、成長欲求を絶やさずに、それをエネルギーにして自らを高めていく。それが自らの自由を獲得し、模範的社会人に成長するのだと。それを具象化したものが下図です。
この図に、以下の学びを統合します。
誕生から徐々に自分の世界が広がって行くように感じる。世界の認知が広まるにつれ、道徳心が発達する。(道徳発達理論;コールバーグ)
関わる人が徐々に増えるにつれ、社会における役割が変わり、それに伴い他者視点を獲得してゆく。(役割取得・社会的視点取得;セルマン)
「愛」や「善」といった概念を「主観」と「客観」に二分しないで、他者のことも自分ごととして考える「人格」の形成。絶対矛盾的自己同一。善とは自己実現(=人格の実現)である。(善の研究;西田幾多郎)
意味もなく同じことを繰り返す「永遠回帰」の世界においても諦めの境地(=ニヒリズム)に陥らず、「これが生だったのか」と失敗を受け入れて「それではもう一度!」と再挑戦する=「運命愛」「超人」(ニーチェ)
徳福一致。自由とは「〜だから、〜する・したい」という因果説の呪縛から免れて、自らの意思によって行動を選択する。選択する行動は他者や他の場面にも適用可能な普遍的なものであるべき=道徳法則(カント)
これらの学びを統合した図がこれです。
輪の内側に振られた数字はコールバーグの道徳発達段階です。
成長(母体から離れる)につれて道徳発達段階が成長します。親から離れた自立と、道徳が発達する自律が調和することで、自主的に幸福を追求する挑戦モード。このモードに入ると、いくつであっても心は青春真っ只中です。
しかし、道徳発達段階が6段階まで達した人でも、成長欲求(遠心力)が弱くなると、円周運動の惰性に負けてしまって、母体に向かって退行しはじめます。現実、退行欲求(求心力)が強すぎて段階6まで至らないまま対抗し始める人も多いかもしれません。しかし、これが老いの始まりです。
では、年老いても惰性に負けない成長欲求を保つにはどうしたらよいか?
ここがエリクソンのライフ・サイクル論における「老年期」。発達課題は【自我の統合 vs 絶望】です。自我の統合に成功すると「英知」を獲得します。老年期は、惰力と退行欲求に負けない精神力が問われるステージです。
英知を獲得しようとする成長欲求、それはすなわち公徳心。公徳心こそ成長欲求の永久機関。人を欲から解放し、果てしなく幸福に導いてくれる源だと考えるに至りました。つまり、公徳心は社会も個人も幸せにするのです。
この仕事に就くまで哲学に触れる機会はなく、道徳や倫理は「宗教臭い」と偏見で忌避していました。しかし福祉を熟考すると生き方を考え、自然と哲学・道徳・倫理を学ぶに至りました。宗教を忌避する気持ちも薄れました。
まだ行き着いた感などありませんが、進むべき道が見つかって良かった気分。運の良さだけで生きてます。これが運命なのですね。人生バンザイ。