「科学とは何か」きちんと理解する…『「科学的思考」のレッスン』(戸田山和久)読書ノート
●事実≠理論という当たり前の”事実”
「りんごが落ちる」は事実、「りんごは重力によって落ちる」は理論。
「進化論は、事実ではなく、理論にすぎない」というCreationistの主張は、進化論の価値を少しも貶めていない。
⇒しかし、だからといって「『Creationism』と『Theory of Evolution』はどちらも事実ではなく理論なのだから”同列に””同じくらいの重要事項として”扱うべきだ!」という主張は些かおかしい。それはなぜか?⇩
●理論と事実の間には明確な境界線は引けない
絶対的事実…未来永劫覆ることのない、この世の真理というものは、神でない限り知ることは不可能。だから人間は、この世の真理(というか仕組み)を仮説や理論でしか捉えることができない。 しかし、全ての仮説や理論が横並びに同様に評価されるわけではない。理論は提唱された後、後の実験に耐えること等を通して、妥当性を上げていく。(これこそが、科学の営み!!) だがここで注意しなければならないのが、理論の妥当性は限りなく上がっていくものの、理論が事実に昇華されることは永遠にないということ。
(【例】「水にきれいな言葉をかけるときれいに結晶する」理論にケチをつけるとしたら??⇒誰が、いつ、何度やっても同じ結果になるのか。きれいとはどういった状態か定義されているか。などの反論ができる)
●よい理論/仮説の条件とは?
①予言できる…目の前の現象を説明するだけでなく、「そのメカニズムが応用されればこうした新しいことが言える」と科学の幅を広げることができる。
②アドホックな要素が少ない…理論の本筋から、少し外れた現象に対し、アドホックな、言い訳のように付け加える要素が少ない。
③1つの現象だけでなく、類似の現象も説明できる
●科学における3種類の「説明」
①原因をつきとめる(事象から遡って原因を特定!)
②一般的仮説/理論から個別事象を導く(演繹っぽい)
③正体をつきとめる(よくわからないものの構造や仕組みを解明。①との違いは、①は原因は何?という問いだが、③は原因以前にこの現象・物体は何?という問い)
⇒この3つの説明を繰り返していくことで、世界中のBare factを少しずつ減らしていく
●説明手法は大きく2つ!
①非演繹(正しさの担保は必ずしもないが、情報量を増やす)
②演繹(正しさは担保されている(=真理保存的)ものの、情報は増やさず、内に閉じている)
⇒2つを組み合わせれば最強!その名も仮説演繹法。アブダクションで仮説を設定、その後仮説の正しさを演繹していく。
●サンプリングの2つの誤差
①系統誤差…理論や機器の不具合など、環境因によるもの
②確率誤差…偶然生じる誤差。調査者の気分のずれなど(!)。これは大数の法則でカバーできるよ
【感想】もともと戸田山和久の文体が好きで、テーマもわかりやすかったため、頭にすらすら入ってきた良書だった。
”科学””科学技術”と我々は一口に言って論じがちだけれど、そもそも科学が何なのか、皆明確に答えられないのではないか?私も4月から「新領域創成科学」に携わるので、科学の定義がはっきり頭に描けなければ新領域なんて創成できるはずもない。そうした問題意識の下読んでみた。
意外にも、社会心理学という科学にある程度携わったおかげなのか、科学の基礎的な部分は既に身についていることを実感できた。次回のnoteで書くが、この科学の定義・構造を踏まえて初めて、後半の「なぜ我々は科学を学ばなければならないのか」という問題意識を考えることができる。