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デザイナーと編集者の融合_3 / 所有する価値から〜共生する価値へ
前回まで語った製品の生まれるプロセス、そしてその特徴。今回はアメリカのその点に注目し、今後の日本のデザインの在り方を見ていきたい。
■フロンティア大陸で始まるマーケティング手法
イギリスで始まった産業革命により、新たな歴史が幕を開ける大陸が現れる。 それは、アメリカでの大量生産と言う歴史の幕開けである。
イギリスの大量生産と違い、植民地を持たない大国は、国内での生産、販売に注力していく。
そして、その過程は、売る為、利益を上げる為のシステムを生み、そのシステムは強固なものとなっていった。
特に効率的な販売方法を構築した点は、今までの欧州の物とは違い、新たな局面を迎える。
それは、“マーケティング” と言うメソッドを生むこととなった。
イギリスの大量生産は、作る事へのイノベーションであったが、アメリカでは、いかにして「大量に売る」かに焦点が移っていった。
まさに、消費社会への幕開けである。
その中で構築されたマーケティング手法は、現在の我々の生活にも大きく継承されている。
中でも1960年モント・ジェローム・マッカーシーにより提唱された4Pは、現在の我々工業製品、衣料品、そして食品に至るまで、根幹となる道筋で使用されていると思う。その内容は、下記を参照頂きたい。
<4P内容>
Product :製品
Price :価格
Promotion :広告宣伝、ダイレクトマーケティング 等
Place :流通
参照: wikipedia/ 4P:マッカーシーの4Pより
これら4つに分類される。
この内容を見て感じたのは、要素をキーワード化にすることで、構成要素を明確にし、プロセスを立体的に考える事が可能になった。
この事で、全体の流れをフロー化出来た事が生産性と販売性を見える化出来た点に気づく。
また、我々消費者から見ると、一つの商品には、生産行為の他に価格、広告宣伝、流通と言った消費者には見えない要素にコストが関わる事が伺える構成であり、大量生産を生みコストの裾野の広さを実感出来ると思う。
■マーケティングへの手法の明確化
その後、ロータボーンの4Cが現れる。
4Pに比べ顧客を焦点にする事で、的確なニーズを明解にする商品企画の概念が生まれたと思われる。
このキーワードにより、更にマーケティングと言う手法がより明確になる。
コトラーは、これをマーケティング2.0と称している。
この概念が、日本の商業スタイルのベースにもなっていて、特にお客様は神様的な考え方の元ではないかと思う。
参考までに下記にキーワードを表記する。
<4C内容>
Consumer:消費者のニーズやウォンツが商品
Customer cost :顧客コスト
Communication:コミュニケーション
Convenience:流通は利便性
参照: wikipedia/4C: ロータボーンの4Cより
顧客、コスト、利便性と言うキーワードは、今の
日本の商品企画の幹になっていると思う。
特に今何が売れていて、それよりいくら安く作るかと言う
■日本のモノづくりを振り返る
こうして、昭和〜令和、そして、ヨーロッパ、アメリカと見てきた中でお気付きな点があるのではなかろうか。
私の気付きは、日本の繁栄は、アメリカ型の大量生産を模範にし、そしてそれを上回る効率化によるシステムを見出した点ではなかろうか。
残念な事に商品企画よりも効率的な生産性に目が向けられ、いかに良品を多く作るかと言うノウハウに主眼がある事が分かる。
結果的に日本の強みとされる技術力を持って、アメリカ製品より安く耐久性も高い商品を生んできたが、その強みを韓国や中国企業に奪われ、彼らのスマートフォンブランドは、今や遠く及ばない存在となってしまった。
■ヨーロッパ、アメリカのプロダクト製品を振り返る
ヨーロッパ、アメリカと近代の大量生産へと進んだ状況を見てきた中で、日本の大量生産、経済活動がどの様なモノであったか、見えてきた。
ヨーロッパブランドでは、着心地、使い心地に目を向けた商品が多数ある。
そこには、失っては取り戻せないアイデンティティが存在し、その要素を形作るフィロソフィーが存在する。
製品そのものが持つストーリー性、使い込んでいく事で高まる質感、艶感。
そして、その先にある手や体に馴染む心地良さは、使う側のセンスを問われ、購入してからのコンテクストが生まれる。
そこには量産品を超えたオーダーメイドに近い、なんて言うんだろう個人、個人で生み出す価値を生んでいると思う。
イタリア フィレンツェを訪れた際、幾つもの革製品の路面店を目にした。
その路面店の多くは、市内に工房を持ち、その製品は工房の職人により生まれている。
そして商品を自らの店先売る事で、ユーザーとの会話が生まれ、また、そこで得るニーズを肌感覚で感じとり、それを職人が再現する。
その循環が、新たな商品と物語を生む。
そんな絶え間ない循環がヨーロッパ製品のみなぎる自信となっているのでは、なかろうか。
この様な効率化やデータでは、現れない物作りの姿勢が、我々の心を捉えているのでは、と想像出来る。
一方、アメリカブランドでは、どの様に売るかに主眼が置かれていると言えよう。
どの様なユーザー、どの様なモノが求められているか、それを大量に売る為には、何が必要か。
作り方から売り方へ そこで生まれたのが
イメージ戦略と思われる。
その商品を買う事で、いかに付加価値が有るかを示すイメージを伝え、購入後にどの様なライフスタイルにフィットするかを分かり易く示した物だ。
コカコーラやビスケットなどの食品類や衣類ではラルフローレン、ナイキなど、広告の持つ意味が重要とされ、今日では、大きなイベントやコンサートなど他分野で使用されている。
ナイキのエアージョーダンは、イメージとプロダクトが一体化した象徴的な商品ではなかろうか。
この事は、マスメディアも含む巨大な販売戦略構造が生まる要素となり、アメリカでのコマーシャルの重要性を浮き彫りにしたと言える。
この手法は、プロダクト製品だけでなく、エンターテイメントや政治など多方面に広がる。
そして、そこで得た物は、データを収集し、より的確に販売する手法である。それがデータ型販売戦略と言って良いであろう。
それが、現在GAFAなどのビックデータ型ビジネスの元となったと言えるのではなかろうか。
こうして考えるとアメリカは、国全体でビックデータを元にしたOS上の社会を構築し、マーケティングを更に効率化したAmazonなどのを始めとした売る側のシステムが、より強化された社会と言って良いのではなかろうか。
ヨーロッパのローカリズムや肌感覚な物作りと違い、データ型の社会、販売を主体にした物作りと言えるのではと思う。
■コロナ禍で変わり始めた生活
商品を生む事で我々の社会が循環し、その結果、経済活動が活発となる。
右肩上がりや成長などのキーワードが連日の様に語られ、売上高や年収と言った基準が世の中の物差しに中心となってきた。
そんな中、コロナウィルスの流行によりステイホームやニューノーマルと言った新たな生活様式を強制的に経験した事である事に気づく。
それは、今まで購入していた洋服や雑貨、そして気にしていたトレンド情報がなくても、気持ちの良い暮らしが出来る事だ。
我々の生活の中にあった必需品が変化し始めた。
■ 浮き彫りとなった新たな価値観
一方、別の視点では、所有する事で満足していた価値は、環境破壊に繋がる大量消費をもたらしていた事に我々は直面した。
個人の所有が、その先にある未来を損なう可能性も予測出来る機会が増えた。
今まで信じてきた豊かさ、深夜までの残業や長距離通勤で得た賃金、それは、消費活動を維持する為のファクターであったに過ぎない様にも思える。
下記に示す方々の考えもそうではなかろうか。
「生きのびる為のデザイン」ヴィクター・パパネックが唱える社会的影響を考えられたプロダクト製品の必要性。
若林 恵氏が著書
「NEXT GENERATIO GOVERMENT」で紹介した「新たな公共性(パブリック・バリュー)」と言う価値
また、松村 圭一郎氏が著書「くらしの中のアナキズム」で紹介したイヴァン・イリイチの考える「自立共生」と言う考え方。
弁護士 水野 祐氏が雑誌 WIREDで唱える「新しい契約社会 データコモンズの行方」
この様な考え方に基づき、我々の暮らし方がどう変わるかを想像するとワクワクしてくる。
物質的な価値基準から一歩離れた共生と言う新たな豊かさ、一人ひとりが創造性のある暮らしをおくれる可能性、その先にある未来の暮らし方。
こうした価値に日本の大企業は目を向けられるかが、今後、世界の中で必要とされるかの瀬戸際と思う。
■価値を創造する取組み
冒頭で紹介したTAKRAM社の取組みは、
新たな価値を創造する過程にとても重要なファクターと思われる。
先般、SONYが文化人類学のリサーチャーの採用を決めた事を、小川さやかさんのTwitterで知った。
今までの大量生産に支えられた社会に人類学者の持つ価値へ目を向ける取組みが日本企業で始まった。
今までの基準を捨て、どの様な価値を生み出せるか?
形を考える事 から 価値を考える事へ
その問いかけに、TAKRAM社の取組みも応えていると思うと同時に、私も様々な取組みや変化を取り入れ、
未来に向けて提案していきたいと思う。
それがデザイナーに必要な変化と信じて。。。
※あとがき
長くなりましたが、一連のストーリーを最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
書き出した時に想像が出来ないほど、長編になりました。
TAKRAM社の取組みを知った時の嬉しさ、自分が目指してきたデザイナー像。
色々なものが重なり、今の日本が置かれている状況や、スポーツウエア業界を経験し、その後、自動車産業界に身を置く者としての願い。
そんな事がペンを走らせ、気がつけば、アメリカのマーケティング論まで語っていました。
もしどなたか、共鳴する方がお見えでしたら、嬉しく思います。
ありがとうございました。