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「気持ちを上げる」って、ほんとに必要ですか?

こんばんは。


気持ちが上がらないので
気持ちを上げる何かがほしい。


それが、食べ物(スイーツ)でも
何かのグッズでも
ルーティーンでも


何か、これがあれば、キモチがアガル、っていうもの。


そういうものが何かほしいなあ、って思うこと
ありませんか?


で、そういうのが見つかれば
それはもちろんいいと思うんですけど
必ずしもそうとも限らない、っていうことも
あるんじゃないかなあと思うんですね。


そういう時に、どうしたらいいかというか
どう考えたらいいか、
考えてみましょう。


まずは、
「何のために、気持ちを上げたいのかを考える」
っていうことが大事かな、
と思いました。


わかんないですけど
「気持ちを上げる」って
カタイ言葉でいうと
「手段」じゃないかなと思うんです。


気持ちを上げて、
何か書き物を仕上げたい、とか
仕事を徹夜で頑張りたい、とか


何かちょっと気持ち的に負荷がかかるものを
「気もちを上げる」ことで
乗り切ろう、みたいな。


そういう達成系じゃなくても
「より、ノリノリで過ごしたい」
とかだったとしても。


何か「目的」があるんじゃないかと。


で、
その目的を果たすために、本当に
「気持ちを上げること」が
必要なのかどうか、っていうこと。


これを考えるのが
大切なのかな、と。


(何か責めてるわけではありませんので
そういうふうに思っていただけたら幸いです)


それを考えて
「いや、それをするには気持ちを上げることが
絶対に絶対に必要だ!」
って思えたら


「気持ちを上げるための何か」を
みつける、考える、っていうのは
すごく意味のあることだと思うんですけど


もし
「あー、別にそうでもないなあ」
って思えるんでしたら


「気持ちを上げる」っていうことに
そんなに重きを置かなくてもいいんじゃないかなあ、
と思うんですね。


逆に言うと
「気持ちが上がらないこと」が
ていのいい
「やらない言い訳」
みたいな感じになっちゃうんじゃないかなとも思うので。


もちろん
「気持ちを上げる何かを持ってる」
ってことは素晴らしいと思いますし
気持ちが上がるっていうこと自体も
素晴らしいと思うんですけど


「気持ちが上がらないから、やれない」
みたいな流れになるのは、
ちょっともったいないんじゃないかな、と。


でも、達成系のことの場合
「気持ちが上がる」っていうのが
何かをやる、1つの「型」みたいになってるとすると


ハシゴを外された感じというか
「気持ちが上がらなくてどうやるの?」
みたいな感じにもなるんじゃないかな、と思うんですね。


「どういう心持ちでやればいいの?」
みたいな。


それを考えた時に、
あくまで、たとえばですが


ドミノ倒しのドミノを1個1個並べるような感じで
やる


こういう感じはどうかなあと思いました。


気持ちが上がる、ではないけれども
何か、集中できる感じというか
状態になれるんじゃないかな、みたいな気がしたので。


で、お話を戻すというか、ちょっとまとめてみますと


もし「気持ちが上がらない」ことで
何かひっかかるものがあったら


ほんとにそれって必要なのかな、って
考えてみていただけたら、と思います。


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もし、今日のお話が何かのヒントになりましたら
ありがたいです。


(繰り返しますが、
気持ちが上がること自体をどうこう、
というものではありませんので
ご理解いただけましたらありがたいです)


最後までお読み下さり、ありがとうございました。


あなたの、ますますの幸せを応援しています!


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