私には夢がある。(一般より焼き菓子が高い理由)
わたしには、夢がある。
焼き菓子が
働き手や作り手
それから
食べ手や買い手に
どちらにとっても
【適正価格】が
定着される時代 を作ると言うこと。
その【適正価格】は
今現在は、消費者側の【金額】【飾り】のみの言葉と
なっているような気がするから。
焼き菓子は、本来食べ物で。
でも、
体に必要ないものです。
けれど
体のどこの部分にあるか
わからない、
人の持つ【心】を時たま、
とっても潤す、すごい効き目の
お薬だとも思っている。
私も救われ
そして
私の手から作り出す菓子たちで
笑顔になってくれた
お客さんもたくさん見てきた。
だから、私には必要です。
私の生きがいです。
私の、働く意味。
生きる意味。でも、あります。
それでも。
今は小さな小銭で
安易に手に入る焼き菓子がたくさんあります。
人。は心が弱いから
たばこ、お酒、そして、甘さ。に
その心の隙間を埋めようとする。
依存性のあるものやから、
できるだけ
安く買い、そしてたくさん摂取する。
たくさん摂取したいから、
安く買おうとする。?
それはどっちでもいいんやけど、、。
菓子の作り手は
そりゃたくさん売れたら
嬉しいから
安易に安く売ってしまう。
でも。安く売ると
また循環で
たくさん売らなくてはならない。
この循環の輪に入ると、
過重労働が始まる。
でも。
お金が土台で生活しないと行けない日本だから(山の中の仙人とかは別やろけど)
ひたすらたくさん作って売る。
売り続ける。
そして、
心がおれる。身体がおれる。
それは、
作ってる人も
人だから。
そしたら
添加物入れてみようかなってなる。
入れることで
日持ちするものができる、
原材料費が下り、利益が出る。
また安く売ることもできるかもしれない。
少しでも身体を休めて利益を出すために。
この結果は
食べ手、と
作り手と
誰が?
本質のところ
良い未来が待っているのか?
「商売だから仕方ないんだよ。」と
雇われの時に言われたこともある。
商売ってなんなんだろうか?
生きるためにすることだけど、
私には、何かが違う。
★★★
誰も悪くないと思う。
仕方ないとも、思う。
けれど、
結局、今の菓子業、飲食業は
ブラック企業とか言われ続けるくらい
何にも変わっていやしない。
いや、変われない。んよ。
幸せ売ってんだから優しい値段
(お客さんからしたら安い)で
売らないの?の圧がやっぱりすごい。
お金は店が我慢しろ、好きなことやって
買ったげてんねんからっ。が。
(もちろんそうじゃない人もいます。)
そんな風潮やもん。
でも安いには裏がある。
そしてそんな圧をかけながら、
ブラックと叩き飲食業を否定される、、。
これは、
飲食業が好きな私には辛いことで。
やはり働き手とか
菓子がもう少し、価値あるものと
みなす時代が来てくれ。って思うのです。
うだうだ文句?言ってもしょうがないから
私は口だけではなく
行動したいのです。
私は
バカだから
やってみないとわからない。
とも思っています。
★★★
菓子はそんなに
安く買われ
頻繁に食べるものでもない。
と、私は思う。
からこそ
もう少し
価値を置き
丁寧に作られ
丁寧に売られ
丁寧に食べ手頂けたら
やっと
菓子も身体に必要。
と言う時代に、
なると思っていたりする。
菓子 はなんだか悪者にされる。
その割に
安い値段で買わせ、
買いやすいから
そう言うことになるのでは?
と感じるのですが、、。
なんだかな。
★★★
私には、夢がある。
作り手も食べ手にも
買い手にも売り手にも
全ての立ち位置の方が
結果、心、身体、
お金の使い方(渡し合い方)
で
良かったね、
と言えるような
焼き菓子のあり方を
焼き菓子屋そぼくな。で確立したい。
今は
どんなに高い!セレブ!
とか
それが仕事になったらいいね〜と
バカにされようとも。
(実際言われてめちゃ悔しい。けれどヘコタレナイ。)
箱とかパッケージとか
ではなくて、
人 に 必要な
本質的に 必要 な
焼き菓子の価値のあり方を
菓子業、飲食業のあり方を
確立したい。
それが
私の夢である。
だから、
私の菓子、高いのです。
せめて。
自分の手から作り出すものは
しっかりと実になっていくものを作りたい。
その実とは
作り手にとっても
食べ手にとっても
売り手にとっても
買い手にとっても
実となる
食べものであったり
その時であったり。
お金の本来の価値であったり。
そんな実。
そんな夢。
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