貧乏の正体
人生って運ゲーだよなって思っていた。
特にどんな人の家の子として生まれるかがものすごく大きいように思う。
お金持ちの家に生まれるか、貧乏な人の子として生まれるのかで見える景色はまったく毛色の違うものになる。
特にここからは経済力の指標を基点に考えてみたい。
お金があれば何がいいのだろう。
例えばお金があれば、人生において選択肢を持てることではないか。
お金があれば買えるものを貧乏だったら買うことはできないが、お金持ちは買うことができる。
つまり、持っている選択肢の数が多いのがお金持ちの長所だと言える。
次に考えたいのは、どうしてこういった貧富の差が生まれるのかだ。
僕はこれについて、これまで運ゲーとか、ガチャガチャみたいなもんで、自分が貧富のどちらに属するのかは、生まれた瞬間に決まってしまうものだと考えていた。
でも最近、それについてはもしかしたら少し違うのではないかと疑問を抱いている。
それは「思考は現実化する」と言う言葉を知ってからになる。
説明してみる。
まず言葉の通り、自分たちの現状は自分たちの思考によってつくられており、どれだけ理想を描いても、現在の思考以上の現実はつくれないのがこの考え方で整理できる点。
この考え方に基づくと、貧乏はなるべくしてなっている。
もちろん、お金持ちも同様のことが言える。
多くの人が金持ちを目指すだろうし、その目標は同じでも違うのはハードルの大小だ。
やはり、金持ちは金持ちになりやすいが貧乏が金持ちになるには大きなハードルを超えていかなければならない。
これは資金力がある方が世の中有利に作られているから仕方がない。
じゃあ、金持ちがずっと金持ちかといえばそうではない。お金持ちも貧乏になることだってあり得る。
つまり、ここでわかる金持ちと貧乏の違いは、選択肢の大小なんかではなく、当人に備わる「思考の違い」ではないかという仮説がよぎったのだ。
だとすれば、貧乏人には「貧乏の思考」があり、お金持ちには「金持ちの思考」があるはずである。
より身近に考えると、貧乏の思考とは消費者の思考であり、金持ちの思考とは生産者の思考であると整理できる。
両者の思考はまったく性質が異なることに気づけると思う。もっとも違うのは「目的」だ。
消費者の思考はモノを「買う」ことを目的にしており、逆に生産者の思考はモノを「売る」ことを目的にしている。
ここで話を戻すと、お金持ちになるにはどうすればいいのかを考えれば、シンプルに「生産者の思考」の割合を多くすればいいと考えられないだろうか。
そもそも論で考えれば、貧乏になる人はお金を「使っている」から貧乏になっており、お金持ちになる人はお金を「稼いでいる」からお金持ちになっている。
つまり、貧乏になりたければ消費者の思考で生きれば貧乏になれるし、お金持ちになりたければ生産者の思考で生きればいいということになる。
こう考えれば当たり前だとも思えるが、忙しい日々を過ごしていればこういった当たり前に気付けなくなるから恐ろしい。
貧乏の正体も金持ちの正体も、それは共通して僕たちの「思考」だということ。
じゃあ、金持ちが幸せで貧乏が不幸かというとそれもまた違う。
どんなにお金を稼いでも幸せになれない人もいる。
だから、どちらにも良し悪しがある。
つまり、幸せになることも含めて考えれば、自分の人生において両者の思考のバランスをどういう割合で保つのかが大事になると思えてならない。
僕は何年もお金持ちになることを望んでいるが今はそうなってはない。でもおそらく貧乏の思考の割合がこれまで大きかったからなるべくしてそうなっているのだ。
だから、お金持ちの思考をこれからは70%以上は保って、残りを消費者の思考で生きたいと思う。
今日も良い一日にします。
2024/03/26