東の魔女の花の園
旅するスーパースター、蕎麦宗です。
タロット…星読み…神社巡り…など、これまであまり触れてこなかった目に見えぬ世界。それらに接触することで続く心の旅、つまり内面の変化との対峙はこの魔女との関わりで新たなフェイズを迎えた気がしている。さて、ここから先は長いです。ファンタジー小説めいて描きました。お暇と気分の乗った時にどうぞお読みくださいまし。
読売ランド駅を降りて
東京方面へ出向いてヘッドスパを受けてきた。いや、魔女に会ってきた、という方が正しい。
その《魔女》ことKさんは【星読み〜かに座の会】に参加してくれたメンバーの一人で、自然療法士・美容家・オーガニック専門家という肩書きを持つ。『美魔女』などという《若さ願望》を表す陳腐な言葉ではなく(年齢に関係なく美女で良い)、彼女は容姿や風貌のみならず存在そのものがまさしく魔女。本当に本物のそれそのものだ。
読者の中で中年を過ぎた方々には、魔女っ子メグや魔法使いサリー・エスパー魔美…etcと聞いて心躍らない人はいなかろう。幼少期の僕も好き好んで女子向けであろうあの名作アニメ達にかじりついて、密かな恋心を抱いていたものだ。だから、魔女と聞いても夢物語ではなく、本物の存在を期待してしまうのかも知れない。
2022年の夏の終わり。小田急線の読売ランド駅を降りて美容室《ココイズム》へと向かう。中天をとおに過ぎた空からの、汗も煮えたぎる強い陽射しに脚取りは軽くはなかった。が、思いのほか早く着いて武蔵野丘陵の緑豊かな丘の斜面に立つガラス張りの建物の前を通ると、Kさんの旦那さんがヘアカット客と鏡に向き合っていた。
予約時間まではまだ余裕あるな。近くに美味しいカフェを見つけて、ハンドドリップコーヒーをもちろんホットで頼む。時計を見やるとギリギリになっていた。焦る。せっかちで舌を火傷しそうに飲み干して慌てて元来た道を戻ると、カラン・カン・カランと騒ぎ始める警報器。その踏切を急ぎ渡り飛び込んでドアを開ける。すると、滴る汗を冷やすように室内からヒュウと風が吹いた。
野薔薇のトンネル
『いらっしゃいませ、上にどうぞ』
そこには知人のKさんではなく、セラピストのKさんが優しくひんやりと立っていた。
ヘッドスパのルームはロフト風な中2階にある。見回すと、いつのまにかカットルームも旦那さんも消えている。気配すらない。まるで渦巻いて伸びた野薔薇がトンネルを作り、外界とを遮断しているかのようだった。そして、そこをくぐれと誘われる。踏み出すと、彩り豊かな花の美しさと香りへの喜びよりも棘への緊張が勝って、白い階段への一歩が辿々しい。上り切って、花々と葉や茎との隙間からのわずかな木漏れ日しかない暗がりを抜けた先に、艶やかに煌めく野原。そこはまるで雲上の花畑だった。
急登の坂の先に広大な平地が広がり、高山植物の咲き乱れ溢れる光景を脳裏に浮かべよ。その真ん中にあなたはひとり一脚の椅子に腰をかけて、
『4つの花の色と4つの花の香りを選びたまへ』
と天使に尋ねられている。ここは花畑ではない、魔女の花園だ。簡単なヒアリングを記入したあと、手渡されたカードやアロマオイルを繁々と眺めた。僕は何を選んだのかの記憶がない。荷物はいつの間にか預けて、手元にスマホもなく写真も撮っていない。ただ、レスキューを意味する紫色のカードとラベンダーの精油だけを覚えている。亡き妻も自然療法家だった。それゆえか男性にしては花やアロマなどにも詳しい。
『考えずに…直感で選んで…ふ〜ん、そういうことね。救いを求めているのが気になるわ』
魔女は言う。きっとすでに心の内は全て読み取られたのだろう、と観念して、背もたれが倒れるのに合わせて彼女に身を委ねた。
花園でのヘッドスパ
さっそく施術は始まった。目隠し用の不織布が瞼を覆うと、花園は鼻腔の奥から身体を船のように浮かべ見渡す限りに広がった。先に選んだ4つの花の香り、つまりアロマオイルが*ボタニカルオイルに足され、今の《私》自身に必要な落ち着きと癒しを運んでくれる。立てた指先が頭蓋骨の縫合を包み込み、時に柔らかく時に力強く、寄せては返す波のようなリズムで解す。つまづいてひっくり返した作りかけのジグソーパズルの浮いた継ぎ目のふくらみを、そっと指先でさすりながら平面へと撫で戻す。もとある場所へと収まった頭骨も皮膚も髪も、堰き止められていたエネルギーの流れを取り戻し、暖かい緑の陽射しを浴びる。吐息は穏やかに淡いターコイズ。心拍はたおやかに浅葱色。園の野原の花々はピンクのそよ風の波打ち際で、白く黄色くそよいでふんわりと薄紫に揺れ光る。
『いつも何か考えてるでしょ』
魔女が訊ねる。
『でも、解れるのも速いわね、アスリートだから?!シンプルなのかしら』
その声も遠くかすかに、うっとり寛いで眠りへと堕ちかけて行く自分を、もう一人の自分が穏やかに眺めている。マッサージの際の心地良さはずっと感じていたいもの。しかし、大抵は寝てしまい記憶にない。口の中に甘く溶けたキャラメルを早く飲み込みたい、でも、まだ味わいたい葛藤。そんな我慢を無理にしたわけでもなく、魔女とのとめどない会話が鳥や虫達の声のようにさえずり、草や花々が揺れてさざめいたおかげか、最後まで悦楽を味わうことができた。至福のひととき、それともこれもまた愛。
目隠しを外し、背もたれを立ててクルリと向き直り鏡へと自分を写す。
『うわっ、あれ、目の光!強くなってるよね!』
自分でも直ぐに気がつく程に、琥珀のように虹彩は輝き、瞳孔は力強い視線に変わっていた。
『みんなそう言うの。でも、ほんと全然違うでしょ、来た時と!』
Kさんは嬉しそうに和やかに、でも当然よといった微笑みを浮かべて次の準備へと移ろった。
*ボタニカルオイル…マッサージなどに使用する果物や花・野菜などの成分を贅沢にブレンドしたオイル
羽の生えたカード達
『最後にオラクルカード引きましょう』
とおもむろに取り出したカードを手品師のように切り始める、と、その時だった。彼女の魔女っぷりがいかんなく湧き溢れ、その眩い炎を眼の当たりにしたのは。
バタバタと音を立てて飛びこぼれるカード。拾い集めて束ね、再び切り直すものの、まるで一枚一枚に天使の羽が生えたように宙を舞う。熟練のマジシャンがそんなミスをしないのと同様に、常々カードと関わっているKさんがそれを落としたりばら撒くことはほぼないらしい。
『落ち着いて、どうしても伝えたいのね、慌てないで』
重ねたカード達を耳元にそば立てて、その声を聴く魔女。
『こんな光景も不思議だろうけど、それを何の違和感もなく平常心で眺めている宗さんもまた珍しいわ』
そう冷静に話すセラピストのKさん。星読みで会った時から、そしてこの90分の施術を受けてなお、異質さも異彩さも全く思わなかったし、当然の事として受け取れた。最初に伝えたとおり、彼女は正真正銘の魔女だ。時代が時代ならば、追いやられ火炙りにされて迫害を受けたあの存在に違いない。さて、そうして選ばれたカード達は僕へのメッセージをどうしても伝えたかったようだ。が、これもまた何というカードだったのかを思い出せないでいる。しかし、鳥肌を立てておぞましく感じたことだけは覚えている。なぜなら、春に引いたタロットカードを引いた時と全く同じだったから。
《光り輝く存在になる、そのためには手放せ、そうすれば最強な力が降りてくる》
『手放すしかないようね、今最初に浮かんだでしょ、それよ、まずは』
僕は視線を斜め上にして想った。自分でも気が付いている手放すべきもの。続いて幾つかが浮かんだ。
『思い当たる節は幾つかある。少しずつ、一つずつ…手放していこうと思います』
例に挙げ話したものは何番目かのものだ。でも、きっと彼女はそれを見透かしていたと思う。それではないよね、と。いや、手に取るように見て知っていたはずだ。そう感じたのは後日、どうしてもその手放すべきものが気になって再び尋ねた時だった。また僕は答えなかった。なぜなら、魔女が話す『僕の身に起きていること、手放すべきこと』の全てが僕しか知らない事実だったから。
魔女のハーブティー
『あら、ハーブティー出すの忘れちゃった。急いでカップに入れるから持って帰って飲んで』
そう手渡されて階段を降りる。Kさんは炎に包まれる魔女ではなく、ひんやりとしたセラピストに戻っていた。もう、野薔薇のトンネルもなくなっていた。
『ウチのパートナーです』
そう紹介されたのは旦那さんで、先程は気配すら消えていた、確かにカットをしていたあの美容師さんに間違いなかった。
開けたドアの外は暑さも和らいで、でもまだ黄昏てはいない。Kさんオリジナルブレンドのハーブティー。カモミールとシナモンフレーバーが身体に滲み入るそれを飲みながら、読売ランド駅へと歩く。途中、焼き鳥の屋台を見つけ豚のカシラを頼んだ。串にかぶりついて、『この肉!頭に効くかも』なんていう駄洒落を思った頃には、ついさっきまでの魔女とその花園からは遠ざかり、現へと戻っていた。
それから…。
ヘッドスパの気持ち良さは勿論の事、それ以上のこの素晴らしき体験をどう描いたら他人に伝わるのだろう。魔女の感性はそして愛はどうにも言葉にならない事が多過ぎて、また、今の僕の文章力では表現するのに無理があり過ぎる。だから、ここまで描くのに相当な時間と心を絞った。
そしてさらに想う。ある種の免疫のない人は(誤解を恐れずに言うとするならば)、たぶんあの魔女に恋をする。それは老若男女を問わない。他者を理解する事は簡単ではないはずだが、それをいとも簡単にやってのける魔法をもっているから。言葉も超えて、つまりは愛。しかし、我々がこちらから手を伸ばしたとしても、あのオーガニックの糖蜜から造られたヒスイのような薄緑色の甘く冷たい氷には届かない。つまり心に触れることは出来ない。なぜなら魔女は、白ワインをフランベしたかような炎、ピンクやオレンジや紫の陽炎に包まれていて、近づく手腕は蝋燭のように溶けきってしまうだろうから。それをも上回るとしたら、同じく魔術師?龍神?それともベタだけど王子様?!
『私の施術を受けにくる人って、人生の転機を迎えるタイミングみたいよ』
と、さらりと言っていたKさん。あの炎は本人の魔法なのか?それとも魔女を、魔女の言葉を、魔女の愛を理解できないでいる自分を含めた現代社会が火を放っているのか?そんな事を空想いながら電車に揺られ、江ノ島線に乗り換えた僕は、曇り空のモノクロームな浜辺に立って居た。確か、彼女自身も転機にあり新しい事を始めると言っていた。次に魔女に会うときはいつだろう。色彩鮮やかなあの花園を再び訪れることは出来るのだろうか。僕は何を手放したら良いのだろう。解れた頭と裏腹に、心はまたモヤッとした疑問を抱えることになった。いつか全てを手放して、新たなるものを手にした時、自分と他者との境界線を超えて、互いの理解は可能になるのかも知れない。そしてそれもまた愛だろう。
裸足で降り立った砂浜はザラついて、ずっしりと重い。はるか水平線を見つめて立ち尽くす波打ち際には、そよ風に揺られ打ち寄せていたカラフルな花々ではなく、冷たく白い秋の海の波にとって代わっていた。終
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