【5. 富士山・富士浅間大社(静岡県富士宮市) レイラインツアー2023〜祈りのご来光道】
第5日目 2023年3月18日(土)
南木曽〜権兵衛峠〜伊那〜諏訪大社〜韮崎〜身延〜富士浅間大社〜三島駅
☆宿泊地:ドーミーイン三島
☆参加者:蕎麦宗・矢部周作・手塚博文・大岳誠*クルマサポート
夜明け前のあてら荘
時刻は5:07。冷たい雨の降りしきる真っ暗闇の南木曽の谷間へと、伴走するクルマのヘッドライトに照らされた、3両編成のロードバイクトレインが走り出した。
雨の中へと出掛けて行くのは嫌なものだ。それは当然の本能で、ましてやこの条件の雨に打たれてずぶ濡れるのを承知で外へ出るのは正気の沙汰。それでも僕ら3人の覚悟は決まっていた。今朝は皆、集中力を最大限に高める男前な表情になっている。
『こんなもん、命賭けてまでやる事じゃない。本当に無理だと思ったら止めればいい』
そう手塚君に伝えたのは昨晩の自転車のメンテナンス中で、ウエット用の*ルブをチェーンの1コマ1コマに染み込ませる作業をしながらだった。
2人はかなりナーバスになっていた。未知なる危険を前に不安を抱える方が真っ当なのは、人類がそうして生き延びてきた人々の末裔だからで、対局にあの植村直己をはじめ、そこへと飛び込む冒険野郎が帰らぬ人になった話が五万とある通りだ。
大袈裟な例えはさて置いても、彼らやレイラインツアーLINEグループのそんな心配をよそに、僕は経験則から必ず走り切れると確信していた。暗がりの峠道。雨天。気温2℃。距離254kmをこなし、富士山浅間大社の参拝時間の制約まである。状況は決して楽観視は出来ない。だから手塚君の指摘も踏まえて最大限の準備をした。
今日のナビゲーターは自分が務める。諏訪湖までの未踏のルートは徹底的に調べ上げて頭に叩き込んだ。睡眠時間が4時間を切ったのはだからだった。
腹を決めた人間の顔は戦士になる。早朝なのにすでにアドレナリンは最大で、あてら荘の玄関も熱気に溢れていた。そのほとばしりそのままに、まだクルマもほとんどいない暗闇の国道19号線の2〜3%登坂を3人で難なくこなして進んでゆく。この4日間の矢部道場のおかげで、確実にヒルクライム能力は上がっている。それにサポートの大岳さんもいる。不安はない。
前走者からの水飛沫で見えないサングラスは外そう。水滴が目に染みるのを除けば、これから始まる冒険にワクワクが止まらなかった。
やがて見覚えのある木曽福島の町を抜ける頃、徐々に白んでいた東の空は分厚いネズミ色の雲を曝け出す。まだまだ深い谷間にいることを、曇り空との対比で視界に届くようになった山の端が伝えてくれている。そこを右へ折れると国道番号が361に変わった。本日の最初の勝負所、権兵衛峠はあと少しだ。
*ルブ…チェーンオイル。通常のドライと雨天時用のウエットがあり、後者は雨にも流れにくい。
雪の権兵衛峠
センターラインのない、いかにも峠道風情になって、少しだけ緊張感から解放された。水溜りを踏んで横殴りの飛沫を浴びせるトラック達にはうんざりだ。ふと見上げると山が白い。雪だ。峠は大丈夫なのか?対向車の屋根には積もってはいないから心配はしなかった。しかし、複雑な8の字ループ橋を駆け抜けてトンネルを抜けると、雪国だった。
大岳さんに記念撮影してもらって出発する頃、寒さに弱い機関車矢部君はすでに凍えている。寒さに強い手塚君はさっさと走り出している。彼を追いかけて走る僕は、真っ白な雪景色に興奮したので、思わず
『ヤッフォ〜!』
と歓声を上げた。矢部君が少々遅れているのは気になったが、まあ大丈夫だろう。やがて峠の権兵衛トンネルが見える。スタートしてからここまで50kmの登りで、木曽側の入り口が最高地点で標高1162m。あとは下り。気温は氷点下3℃。積もった雪は辛うじて凍ってはいない。タイヤを立てて滑らないように走れば問題なかろう。MTBで悪路には慣れている僕らは楽しげに、ヒルクライマーの矢部君は慎重に下った。
濡れて効かないブレーキを、悴んで力の入らない指先で握りしめる。長く急な直線道路に出た頃には、再び雨に代わっていた。昨晩のGoogle検索で見覚えのあるガソリンスタンドを曲がれば、お目当ての道に出る。しばらくこの道に沿って走って行こう。
こうして、最初の難所はなんとかクリアする事が出来た。
伊那谷から諏訪湖へ
伊那谷は天竜川が削り出した河岸段丘の続く細長い盆地で、川に並行する形で何本もの道路が走っている。僕が選んだのは山沿いの県道203号でも、川沿いの国道153号線でもない、中央をゆく広域農道。
ここのような地形は横切る川でアップダウンが多いので、山際に沿うと尚その可能性がある。反対に川沿いまで降りてしまうと、標高が低くなり諏訪までを上り基調に変えるし、信号も多いはず。そう思って選んだこの道は正解で、途中から県道203号線へと合流して国道や天竜川を横切って川向こうの県道19号線へと繋がった。
その道を行くにあたって、前もって大岳さんに県道203号線の交差点を伝えたのは、道が入り組んで複雑だから。しかしながら、先回りしてそこへと立ってくれていた大岳さんを機関車矢部君が見落としてしまい、そのまま下り坂になってハイスピードで通過してしまった。慌てて追い抜いて先頭を換わり、道を間違えた事を2人に伝える。
しばらく行った辰野付近で、なんとか復旧出来そうな脇道を見つけたので、停車して大岳さんを待った。飯田線の鉄路を渡り、天竜川を渡り、入り組んだ道は農道と県道の区別もつかずに難儀だったけれど、幸いにも予定していたルートへと修正。そのまま走ると塩尻へと大幅な遠回りを余儀なくされるので助かった。Googleマップを血眼に眺めて、地形を頭に叩き込んだ甲斐があった。
まっすぐのまま県道番号は19から14へと変わり、このまま道なりに行けば岡谷駅前を通過して天竜川の源流となる諏訪湖へと到着する。晴れていれば風光明媚であろうこの道へと、いずれまた来たいと思い浮かべて、ただ淡々と水煙を上げながらトレインは走りゆく。
まもなく9:00を過ぎるが一向に雨が止む気配はない。今日は太陽=天照大御神は天岩戸にお隠れのままのようだ。本日初休憩の90km地点・諏訪のコンビニで、雨水と寒さ対策のために台所用手袋を購入した時、もっこりと浮腫んだ指に中々ハマらないゴム手袋をあるものに喩えて馬鹿笑いし、またお揃いにした矢部君とレンジャーポーズで笑い飛ばしたのは、あの古事記の逸話の如きを狙ったから。
天岩戸を開かせたのは天鈿女神のエロと笑い。こじ開けたのは天之手力男神。残念ながらこの日終日、太陽が覗くことはなかった。天津神である二神とも、この*諏訪の地には御座すことなく通り過ぎたようだ。
それでも、逆境を跳ね除けるにはこれを楽しむに如かず。再び冷え切ったサドルへと跨ることが出来た。
*諏訪…出雲系の神である建御名方神の納める土地。諏訪大社はこの神を祀っている。
渾身の富士見峠と枯渇の韮崎
この休憩地点より先に、僕が未知なる道はない。そのたった一つの安心材料が、ずいぶんと気持ちを楽にしてくれた。それでもこの日の旅が過酷なのは相変わらずの冷たい雨のせいで、気温3℃の悪天まま諏訪湖畔を駆け抜けた。
まもなく諏訪大社の大鳥居に到着。レイラインからは外れているものの、言わずとしれたパワースポットである。今回は趣旨により参拝はしなかったが、鳥居の前に3人で並び、深々と頭を下げ祈りを捧げた。
先に説明した祭神《建御名方神》は、大国主命の子供である。記紀の国譲り神話を歴史と捉えたならば、出雲から追いやられた子孫たちが棲み着いた土地であろう。今日の天気と神話の伝承に、またあの俗説が脳裏を横切った。
寒過ぎるので、参拝もそこそこにすぐに出発。とにかくこういう時は走り続けるに限る。グリコーゲンと脂肪をボイラーに焚べるのは、ペダリングで自転車を前に進めるためと、身体を冷やさぬように暖を取るためで、動くのを止めた時点で動けなくなってしまうのだ。
県道16号線がぶつかって右に曲がれば、甲州街道こと国道20号線である。ここからしばらくは登り勾配となって峠を目指す。そして再び矢部道場の始まりはじまり。手塚君はキツかったようだけど、僕はその負荷が心地良かった。並行する中央本線をゆく貨物列車が、電気機関車EF64を*重連にして進むので有名な区間だ。勾配は緩くはない。矢部君に連なって僕も機関車になった。おそらく強度は上がっている。雨なのか汗なのかわからない水滴が背中を伝い、レーサージャージのパッドに溜まっている。
それでも踏み続けたのは、この峠を上り切れば長い登り区間は今日はもうない事を知っているからで、そしてあの先は伊豆に住む僕ら自転車乗りにとっては《庭》とも呼べる地域に入るからだ。標高は952m。その近辺の山々にはうっすらと雪が降っているのが、眼前の雨粒手越しに見渡せる。洞門を括って勾配をさらにキツくして、その先に最後のコーナーが見えてきた。あと少し。大腿四頭筋に石炭を焚べるがごとく力を込めた。
戦う相手は誰も居ない。3人同着で駆け抜けたゴール地点。それでもまるで*グランツールの一区間の山頂ゴールだ。勝利だ!区間優勝だ。富士見峠に到着した時、思わずガッツポーズをして雄叫びを上げたのはそんな気分に包まれたからだった。
ここから先しばらくは長丁場の下りとなる。低気温で身体を冷やしたくないので、体重の重い僕が前に出てトレインを引く。もちろんペダルを踏むのはやめなかった。しかしながらしばらくして矢部君の様子がおかしい。振り返って見るとずいぶんと離れている。スピードが上がらないだけでなく、信号待ちで止まったハンドルが小刻みに震えている。どうやら低体温症のようだ。
先に話した通り、暖を取るために筋肉を動かすので無駄にエネルギーを使う。そのためグリコーゲン切れを起こしやすい。彼のよう体脂肪の少ない身体は寒さに弱い。しかも、ずっと先頭を引いている走りは*脂肪燃焼強度ではなく、グリコーゲン強度だったのだろう。2日目にはわからなかった彼の走りの秘密がここで明らかになった。対応策はただ一つ。食料の補給しかない。
そこで一度韮崎付近で休憩を取り、食べられる限りの食事をすることにした。
『暖まるやつ食いたいよね』
そう言って、イートインにずぶ濡れの3人が並んでラーメンを啜る。震える指先でへスープのビニール袋を掴めないので、大岳さんが代わりに切ってくれた。そんな凍える身体で貪るカップ麺はこの上なく幸せな気分と共に胃袋に染み渡った。
*重連…キツい勾配をこなすために、2両以上の機関車が連なって引っ張り上げる。
*グランツール…ツールドフランスに代表される超長距離ステージレース。山岳区間は山頂ゴールが設定される。
*脂肪燃焼強度…低強度は脂肪が、高強度はグリコーゲンが筋肉を動かすエネルギーとして使われる。
身延経由で富士山浅間大社
少しだけ温まった身体にホッカイロを貼り直して、再び雨の中へと飛び出す。南の空は雲が薄くなってはいるけれど、とても晴れる気配はない。
それでも時刻は12時前で、富士山浅間大社まで残り80km。早ければ15:00には到着できる。参拝終了時間は16:30だから、おそらく楽勝だろう。手塚君からの指摘で出発を1時間早くしたのが功を奏して余裕ができている。ただ、大抵余裕ができると休憩が増えたり速度が遅くなる傾向がある。人間そういうものなので楽観は禁物。天候やアクシデント含めて何が起こるのかはわからないので、気を引き締めていこう。
そうして、僕と手塚君には走り慣れた身延の道を、矢部君にとっては初見で楽しみな富士川沿いの国道52号線を直走った。
計算外だったのは、波高島橋を渡って県道10号線に入ってからのアップダウン。日頃ならば慣れてアタック合戦などをして楽しんで走っていたこの道も、冷たい雨に打たれ続けて固まってしまっている脚には過酷過ぎて、中々思うように進まなかった。
県境を過ぎて静岡県に入れど、相変わらず雨は止む気配がない。せめて参拝の時だけでも、晴れないまでも『雨だけは止んでくれ!』と願った。しかしながら、到着した富士山浅間大社はやはり雨。せめてもの救いは境内の脇に咲いた枝垂れ桜。神の化身は満開でもって出迎えてくださった。そう、ここ富士山浅間大社は木花咲耶比売命を祭神として祀る。御神体は富士山。今日は機嫌を損ねた天照大御神の涙に隠されて見えていない日本一の霊峰を、くっきりと思い浮かべることが出来たのは、レイラインツアーに旅立つ新幹線の車窓から見た、大正時代の絵葉書のようなあの富士山が、すぐに脳裏に浮かんだからだった。
その富士山と神殿に向かい、ここまでの道中と過酷過ぎた今日この日の無事を先ず感謝して、残りの旅路を祈願した。人々や全てのものへの祈りはもうすでに当たり前になっていて、私利私欲や小さな我欲はとっくに無くなっている。神はきっと喜んでいるのだろう。ここまで5つの神社・パワースポットを巡って来た。彼らを繋ぐ使者となり、また明日以降も走るのだから。
三島への凱旋
『浅間さんには悪いけど、先を急ごう。
そう話して、すぐさまに富士山浅間大社を後にした。立ち止まっていると凍えた身体がさらに震える。手指の先は痺れが止まらない。凍傷だろうか。
富士宮と富士の市街地渋滞を抜けたら、向かい風の沼津千本浜街道を行く。濡れた松葉の千歳緑を横目に、数日前の皆生温泉の弓ヶ浜を思った。なんだか出雲をスタートしたことが懐かしく感じられる。
そして、もうここからは目をつぶっても走れる道。我等が地元だと言わんばかりに、僕と手塚君との2人で代わる代わる機関車を務め、矢部君には客車になってもらった。
『宗さん、引き強くなってませんか!』
手塚君がそういう通り、自身でも実感があった。4日間の温存と坂道道場は全て矢部君のおかげ。彼ら2人に合わせて時速は32km/hに抑える。『抑える』と言えるほどに、平地巡行のパフォーマンスは上がっているようだった。
辛うじてアドレナリンも枯渇していないようで、集中力を保つことが出来ている。やがて沼津市街を通り、三島の街へと凱旋。今夜の宿泊地のドーミーイン三島へと滑り込んだ。
先にチェックインを済ませた明日の区間参加者・早野真史君が出迎えてくれる。彼の知的で優しい笑顔に到着の実感が沸いた。大岳さんも到着。今日の1日を走り切れたのは彼のサポートのおかげだ。
その後、昨日参加者の石井君宅が宿の近所ということもあり、そこで自転車を洗って整備を済ませ、予約してあった《モルト蔵》へと向かう。ここは燻製料理とビールで知られる三島の名店。マスターの新村基行さんは、僕のロードバイクの師匠。今宵だけは酒を解禁にしよう。染み渡るモルトとホップ。
『旨ぇえなぁ〜ビール』
それは、用意してくれた肉たっぷりのコース料理と共に、疲れ果てた身体へと瞬時に染み渡ってゆく。まだ明日以降もある。宴はほどほどに早く宿へと戻ろう。なぜなら、これまた予約してしていた整体師の川野義和さんがホテルで待っていてくれてるから。
いつにも増して、通い慣れたスポーツ整体が心地よく、ありがたかった。
『宗さん、とても900km走ったとは思えない身体だよ』
『そりゃそうですよ、なんせ神々がついてくれてますからね〜』
なんて笑って、ここまで5日間の疲労をリセットしてもらった。
そうして、さて寝よう。と、今日のログなどをInstagramに上げた時のことだ。
『え、どういうこと?なんで消えてるの』
毎日3つづつupして並べていた投稿のうち、第1日目と2日目だけがごっそりと抜け落ちている。出雲大社と大神山神社、つまりは大国主命の区間。消すはずもないし、誤操作で消去したとも思えない。訝しく思ったけれど、きっと、雨で濡れたスマホの誤作動か何かで、明日には復旧してるだろう。
そんな風に放ったらかしにして、いつしか深い眠りへと落ちていったのは、郷里へと戻ってきた安らぎゆえだった。
#祈りの旅 #挑戦 #レイライン #自転車の旅 #チャレンジ精神 #商売繁盛 #出雲大社 #大神山神社#元伊勢皇大神社 #琵琶湖 #竹生島神社 #富士山 #富士浅間大社 #寒川神社 #日本橋 #玉前神社 #note書き初め #この春チャレンジしたいこと #ポジティブ思考 #冒険