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のど元過ぎれば熱さを忘れる。

私は猫舌です。でもラーメンと揚げ物が大好き。揚げ物では特に唐揚げと天ぷら。最近はこれに串揚げも加わる。あ、お寿司も好きだし、好きなものをあげたらきりがない。

熱いものはフーフーして、大丈夫かと思いきや、私の舌と上あごは私の意識以上に敏感で、めちゃ反応するので、慌てて飲み込む。

のどで感じる熱さって半端ないですよね。なので慌てて水を飲む。それでも胃の腑に落ちてもまだ熱さを感じてしまうような経験、ないですか。

涙目になりながら、そんなコトを繰り返している自分に呆れるけれども、やはり私にとって熱いものでも冷たいものでも美味しいものを楽しく食べるときが、人生で至福の時だ。

そんな私が本当に落ち込んだのは、大腸の病気になって入院した去年のこと。なんと1週間の絶食。場合によってはもっと長くと宣告されてしまったのだ。たかが1週間かもしれないけれど、私にとっては一大事で。。。

栄養や水分は点滴で補う。だからかわからないが、人生でおよそ初めてといっていい、「おなかが空かない」「食欲がわかない」を経験した。初めてではないかもしれないけれど、ガタがきている私の記憶の限りはそうした経験はない。たとえインフルエンザの高熱でうなされようと、子供の友達のお母さんが作ってくれた鍋いっぱいのおかゆを病人とは思えない速さで完食している。

入院期間中は、食欲とともに、気力がなくなっていたように思う。仕事を急に休むことになってしまって迷惑をかけ、申し訳ない思いはあったが、焦燥感はなかった。まぁ、どうしようと焦ったところで何にもできないのだけれど。おなかの痛みが落ち着くと、何もすることがないので本を読んだりテレビを見たり。しかしいずれも続かない。共用の休憩スペースのようなところでぼーっと外の景色を見ていても、座り続けることができずにうろうろする。何をするにも集中するには気力が必要。

そしていよいよ食事が始まる。最初は重湯にお汁(具無し)、飲むヨーグルトだった。たかが(失礼!)重湯が大変美味しく感じられた。その時を思い返してみると、もっと食べたい!というよりは、重湯をしっかり味わいたい!という思いの方が強かったように思う。飲むヨーグルトも口中に広がる甘酸っぱさのなんと心地よかったことか。

いつもは営業時代に鍛えられた早食いで、口に詰め込む速度や量はかなりのものだったと自信があった。味は匂いと見た目と舌で感じるもの。

でも今回は口の中以降もしっかり味わう。のどを通る感覚や胃に収まる感じも含めて、胃の中に落ちていく感じもしっかり感じていた。

順調に、予測よりも結構な早さで回復するに従い、食事も豊かになっていく。それに応じて食べるスピードも上がっていった。。。

病院食や施設の食事はまずいという人がいたことを思い出した。誰が作ったのかもわからないし、と。その人はとても料理上手な人だったので、私は下手くそなのでよかったのかもしれない。

でも、やはり作ってくれた方への感謝を、重湯をすすったときには感じずにはいられなかった。もしかしたら工場で大量生産の重湯かもしれないけれど、工場の人も頑張って美味しいものを提供しようと日夜努力してくれているはず。どんなプロセスで私の前に、蛍光灯の明かりを反射して白く鈍く光る重湯が表れてくれたのか、思いをはせると感謝せずにはいられないし、その感謝の思いは自分の気力にもつながる。なんだか気持ちだけは明るくなって頑張ろうと思う。

しかし、のど元過ぎれば熱さを忘れるの喩え通り、そして古ぼけてきている脳みそのなせる業も加わり、退院後半年も過ぎるとそんなことはとっくに忘れていた。

今日は私の誕生日で外食の予定。今一度、いつどこでだれと食べるかに関わらず、食事を頂くときには動物植物問わず命を頂いていること、誰かの仕事のおかげで頂けることに感謝し、ゆっくり味わい、自分の気力、元気の源につなげていこうと思うのでした。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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