神探偵イエス・キリストの冒険(レビュー/読書感想文)
神探偵イエス・キリストの冒険(清涼院流水)
を読みました。新刊です。
清涼院流水さんは1996年に『コズミック 世紀末探偵神話』で第二回メフィスト賞を受賞、デビューされています。
90年代当時に本格ミステリファンであった読者であれば、清涼院流水さんという作家さんは誰にとっても色んな意味で(!?)やはり特別な作家さんということになるのだと思います。
デビュー作『コズミック〜』にして、密室卿を名乗る謎の人物から「1200の密室で1200人を殺す」と書かれた犯罪予告状が警察やマスコミにばら撒かれる場面から幕を開けるという自由奔放ぶりです。
その『コズミック〜』に始まるJDC(日本探偵倶楽部)シリーズは、当時、ミステリ作家のみならずファンまでを巻き込んで侃侃諤諤の議論と賛否の声を呼びました。
ちなみJDC(日本探偵倶楽部)シリーズとは、文字どおり探偵たちの集団がチームワークで数々の難事件を解決していくという筋書きなのですが、その探偵たちのキャラクターが漫画やアニメさながら個性爆発なのです。
実績で格付けされた探偵たちは「集中考疑(しゅうちゅうこうぎ)」、「神通理気(じんつうりき)」や「傾奇推理(かぶきすいり)」などまるでアクション漫画の必殺技のような名のついた推理法(?)を駆使します。こうした突飛な設定が、当時は、『聖闘士星矢』の必殺技のような――と形容されていたことが多かったように記憶しています。時代ですね。
現在は、特殊設定ミステリーも全盛であり、多種多様な作風のミステリー作品が当たり前に世に溢れていますが、今にして思うと、メフィスト賞の性格のみならず、ミステリーの世界においても清涼院流水さんこそ本当の意味で「なんでもあり」の先駆けだったのかもしれません。
前置きが長くなりました。今回は、そんな清涼院流水さんの最新作『神探偵イエス・キリストの冒険』です。
清涼院さんの作品は初期に発表されたものはひととおり読んでいたものの、最近は触れていませんでした。
本書の「あとがき」によると、清涼院さんは2020年に洗礼を受けてカトリック信徒になったそうです。
この「あとがき」はネットに全文公開されています。清涼院さんの紡ぐ聖書ミステリとは如何に――と思わされ、ご無沙汰していた清涼院さんの作品を久しぶりに手に取った次第でした。
本作は、六編の連作短編集となっています。
・囚われのキリスト
・消えたぶどう酒
・洗礼者殺し
・ガリラヤ湖の女幽霊
・愛の王か、悪の王か
・十字架の真実(バラバの罪)
ひとこと感想としましては、すごく誠実かつ真摯に聖書が――イエス・キリストの物語がミステリ仕立てに描かれていました。
すみません、正直、読書前は、あの清涼院さんの作品だからという先入観があったことは否めません。またぞろ聖書にぶっ飛んだ新解釈や自由奔放な改編を盛り込んでくるのではないかと疑っていたことを告白します。が、実際、読んでみるとそれはまったくの杞憂でした。
新約聖書に記されたエピソードを読みやすい文体で、それでいて、原典に矛盾しないようきわめて自然に[謎→真相]のミステリ様式を差し込むことで、聖書という元来かたいテキストがベースでありながら、本書は「この先を読みたい」という興味を読者に強く喚起してくれます。
各編の終わりには「TIPS」と銘打たれた解説が附されており、どこまでが聖書に実際にある記述で、どこからが作者による解釈/想像であるかが明らかにされます。
聖書のことを知りたいと書店に行けば、その目的に資する書は山のようにあることでしょう。そのうえで、本作は、独立したミステリー作品としてはもちろん、加えて聖書の入門書としても、ライトな読書好きに受け入れられそうという意味で、これは一線級なのではと感じました。やはり物語として面白いという要素は何より強いですね。
ややクセのある清涼院さん節は本作においてもところどころに顔を覗かせますが、ある意味において海外古典作品の翻訳文のように捉えると従来作より違和感が軽減されるので不思議です。
清涼院流水さんの『神探偵イエス・キリスト』の物語は、この先もシリーズ化を予定しているそうです。
神探偵イエス・キリストの
・冒険 ←本作
・回想
・生還
・最後の挨拶
・事件簿
と続く構想とのことですが、これは――そう、シャーロック・ホームズです。
清涼院さんのミステリ作家としての矜持をかけた(!?)神探偵イエス・キリストシリーズのこれからの発展に期待します。
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