ブギーポップ・パズルド 最強は堕落と矛盾を嘲笑う(レビュー/読書感想文)
ブギーポップ・パズルド 最強は堕落と矛盾を嘲笑う(上遠野浩平)
を読みました。
ブギーポップシリーズの最新刊です。
私がnoteで読書感想文を投稿するようになってから、初めてのシリーズ新刊です。なんだか前置きが長くなりそうな予感がします。
年齢というか世代が伝わりそうですが、1998年のシリーズ第一作「ブギーポップは笑わない」以来、私は新作が出るたびリアルタイムで読み続けています。
上遠野さんは自作についてジョジョから受けた影響を隠していないようですが、さて、ブギーポップシリーズは、それを話題に同世代の読者同士で語り合うとき、ジョジョを話題にするときと少し似たやりとりがありそうだなと思っています。
有名作品ですから、ある程度ラノベ好き、本好きであれば、「ブギーポップは笑わない」含めてシリーズ初期作品は読了している人は多くいるのですが、その一方、超長寿シリーズの宿命なのでしょうが、今も新作を追い続けているかどうかとなると途端にその数が減る――というものです。
話し相手によっては、
「え? あれって今もまだ続いてるの? で、読み続けてるの?」
と、言われることもしばしば。
失礼な話です。
ジョジョも、今でこそそんなこと無いかもしれませんが、6部、7部あたりの頃は上のようなやり取りはあちこちであったように思います。ええ、私はジョジョも3部連載の頃から現在までずっと追い続けています。
個人的にはそんなことを言われることもままあるブギーポップシリーズですが(私のまわりの友人が悪いとしましょう)、第一作「ブギーポップは笑わない」は、私があえてここで声高に伝えるまでもなく衝撃的な作品でした。非常にエポックメイキングな一作であり、後進に与えた影響も計り知れません。
ラノベはもとより、ミステリ界隈からの注目度も当時とても高かったことを覚えています。
有名どころでは、西尾維新さんや、奈須きのこさん、佐藤友哉さんなどがブギーポップから影響を受けたことを表明しているようです。西尾さんも佐藤さんもいわゆるエンタメ文学の最前線ですが、出自はメフィスト賞であり広い意味でミステリ畑ですね。
私は決してSFやラノベの歴史には詳しくありません。ですから、あえて本格ミステリの文脈で語りますと、上遠野さんが影響を受けた作家に名を挙げている島田荘司さんの「占星術殺人事件」が1981年の刊行です。そこから、綾辻行人さんの「十角館の殺人」が1987年、京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」が1995年、そして、「ブギーポップは笑わない」が刊行されたのが1998年です。
何を伝えたいかと言いますと、90年代前半頃から、ミステリーの世界でも、名探偵やワトスン役を対象にした、いわゆるキャラ読みや、良い意味で漫画的な世界観の作品が大衆に受け入れられるようになってきたのですが、いよいよブギーポップ以降に、現在隆盛の特殊設定ミステリーなどにも通ずる、ミステリーとラノベの融合が本格的に始まったのだと思います。西尾維新さんや奈須きのこさんはまさにその系譜でしょう。いちおう補足しますと、セカイ系という言葉で大きく括るのはやや乱暴な気が個人的にはしていて表現を避けました。
と、ここまで語りましたが、当然ネットなどで調べればこうした記録は粒度の差こそあれ、あちこちにあります。ただ、なんとなく私の感覚ですが、
それにしては、最近、ブギーポップシリーズの扱いが小さくないですか? 本屋さんとかで。
電撃文庫の棚を本屋さんで見てもあまり既刊本は置いていないのですよね。悲しくなります。みんな、ブギーポップの功績を忘れないでください。
つまるところ――。ここまで取り上げてきました漫画、そして小説――そのなかでもミステリーやラノベ・SFとありますが、やはり良い物はジャンルオーバーで影響を与え与えられ、進化・変容していくのだろうなと思うわけです。
あ、メディアの話で言いますと、ブギーポップは2度アニメ化していますね。最近――と言っても2019年ですが――のほうは視聴していないのですが、2000年制作のアニメは全編に漂う不穏な雰囲気が良くてお気に入りでした。スガシカオさんの楽曲「夕立」の流れるOPがカッコいいんです。
再び、ブギーポップシリーズ自体に話を戻します。
2000年頃から当シリーズは大体1〜2年周期で新作が発表されていたのですが、2019年の「ブギーポップ・オールマイティ ディジーがリジーを想うとき」から、次作の「ブギーポップは呪われる」(2023年)まで4年の月日が開きましたので、もしかしたらシリーズはこのまま終わってしまうのか! あるいは最終章に向けた仕込みの時間なのか! と個人的にやきもきしていたところ、久しぶりの新作である「ブギーポップは呪われる」が平常運転の内容だったので肩透かしをくったのを覚えています。それが昨年のこと。
今回は1年またずの新作発表でした。
さて、「ブギーポップ・パズルド 最強は堕落と矛盾を嘲笑う」です。
正直、あまりにもシリーズが長期間に渡りすぎていて、細かい設定やキャラクターの人間関係などは私はほとんど記憶していません。過去作のキャラクターが作品ごとに、新たに、再び、交錯を繰り返す本シリーズをちゃんと楽しむためにはそのあたり復習が欠かせないのでしょうが、まぁ、細かく見返してはいませんね。それでも、新刊が出れば必ず読みます。
何故か――。
その理由を語る前にまず、本シリーズの特徴について真面目に論じると、シリーズ第一作「ブギーポップは笑わない」の真骨頂は、ひとつの事象を多視点から描き、万華鏡のように見え方の変わる様を読者に魅せたことにあったのだと思います。が、そうした作風自体はブギーポップ以前に無かったわけではありません。ブギーポップがそれをメジャーにしたとまでは言えるでしょうが、発明したとは言えないでしょう。上遠野さん自身、この表現手法は氷室冴子さんの作品に触発されたことを語っているそうです。
従って、多視点表現の妙が評価されたことは副次的な産物に過ぎず、ブギーポップシリーズが当時の若者を魅了したその本質は、個人的にはやはり作品全体に漂うどこか不安定で退廃的な空気感だったのだと思います。舞台の多くは学校、そして主要キャラクターはティーンエイジャーです。リアルと非リアルのあいだの絶妙な世界観のなかで表現される哲学的な葛藤や、僅かな希望をも孕んだ諦観的な問答が思春期の若者の心を掴んだのだと。
私がブギーポップシリーズに惹かれ、読み続けている理由もまさにそこです。現在は立派な中年の私ですが、新作を読むたび前向きな意味でかつて育んだ中二心を掻き立てられます。そのために読んでいると言っても過言では無いくらいです。まだまだ枯らしたくはありません。
最新作について。内容的な紹介はまるでしていませんが、シリーズ最新作である本作も、ここまで述べたようなブギーポップシリーズのいつもの魅力は満載ですよ。テーマは「最強」。シリーズ初期作品のキャラクターも登場しますし、久しぶりにブギーポップシリーズに触れてみたいかつての読者にもオススメです。気になったかたは是非。
(しかし、こんなに内容自体に言及しない読書レビューってありなのかな)
(そこは黙ってたらネタバラシへの配慮ということに勝手になるだろうし。まあいいじゃん)
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わかる人にはわかるブギーポップシリーズの著者あとがきっぽく締めてみます。読了の余韻とともに、なんだか考えさせられる内容で、これも本編とは別に毎回の楽しみです。