神器―軍艦「橿原」殺人事件―(レビュー/読書感想文)
神器―軍艦「橿原」殺人事件(奥泉光)
を読みました。2009年の作。
さて、「文豪」という言葉を贈りたい作家さんは人によって意見がわかれそうです。既に歴史的な評価の定着している過去の作家を除いて、存命の現役作家限定となると尚更ですね。本好きのあいだなら結構盛り上がりそうな話題かもしれません。文芸一般(ジャンルレス)であれば、村上春樹さんの名を挙げる人が多そうでしょうか。
あくまで個人的な意見ですが、もし、私が現在存命のミステリー(をよく書く)作家を対象限定にするならば、そうですね――、
・笠井潔さん
・島田荘司さん
・辻真先さん
・皆川博子さん
・山田正紀さん
上記の方々はまさに私が「文豪」と呼びたい作家さんたちです。いや、本当は他にも「好き」を超えて敬意を表したい作家さんはたくさんいらっしゃるのですが挙げ始めるとキリがないので、すみません(汗)。
そのうえで、さらに、ミステリーっぽい作品を(も)書く人を加えるとなると一番に頭に浮かぶのが、
・奥泉光さん
です。多数の著作があり、作風も多岐にわたります。私がこれまで読んだ作品のなかでは、大戦末期の海軍で起きた毒死事件を描く『グランド・ミステリー』が印象に残っています。
それでは、今回はそんな奥泉光さんの作品――
神器―軍艦「橿原」殺人事件
の紹介です。
ひとこと、本書の感想を述べるなら、それは紛れもなく「奇書」です。
日本の三大奇書あるいは三大ミステリーといえば、
・虚無への供物(中井英夫)
・黒死館殺人事件(小栗虫太郎)
・ドグラ・マグラ(夢野久作)
があります。
四大奇書と呼ぶ際は、上記に、
・匣の中の失楽(竹本健治)
が加わります。
本書『神器―軍艦「橿原」殺人事件』はこれらに勝るとも劣らぬくらいの奇書っぷり(!?)です。
第五の奇書の座はやがて歴史が定めるのでしょうが、比較的、近年に発表された作品のなかでは舞城王太郎さんの『ディスコ探偵水曜日』(2008年)がその座に相応しいのではという声も一部で聞こえていました。(もちろん、その他にもそういう評価をされる作品はあります)
そういう意味では『神器〜』も『ディスコ探偵水曜日』も世界観の描かれ方に通ずるものを感じます。それは、すなわち、どこまでが作中世界における「現実」で、どこからが「虚構」であるのか判然とせず、読者は、そして登場人物もまた自身の足元がおぼつかなくなるというトリップ感覚です。
本作の舞台はほぼ全編にわたって、軍艦「橿原」内なのですが、「橿原」の艦底倉庫には、とある秘物が納められており、その秘物の作用によって様々な奇跡が軍艦内で発生します。生者と死者の対話、時空の超越、そして、幻想の顕現――これらが目立った前触れも説明もないままに起こり、作中の現実世界と地続きで描写されるわけです。
ここまでの紹介で本書が普通の推理小説でないことはもう十分に伝わっていると思うのですが、まさにそのとおりで、ここまで徹頭徹尾いわゆる幻想小説路線を貫かれると、反面、ある意味で王道的とも言える「〜殺人事件」というタイトルさえ作者が読者に仕掛けた一種の遊び心なのではと思わされます。
本書は文庫版にして上下巻合計1000頁を超える大作なのですが、各章(チャプター)はおおよそ10頁以下に細かくまとめられており、数回ページを繰ると章が変わるため、息をつけるタイミングにもなり、それが意外と読みやすさにも繋がっています。必然、チャプターの数は多くなり、その数は126にのぼります。以下に、いくつかの章タイトルをピックアップして挙げますが、これらをご覧いただくだけでも本書の異形さを読まずして推察いただけると思います。
念頭に置いていただきたいのは、本書のタイトルは『神器―軍艦「橿原」殺人事件』であるということです。
以下、私が恣意的にピックアップした章ナンバーと章タイトルです。
30 二重身(ドッペルゲンガー)と船艙の狂笑
33 ロンギヌスの聖槍
41 操縦席のミッキーマウス
61 鼠戦争
63 ワルプルギスの夜
75 これは小説ではない
87 三種の神器
93 龍の腹の中で
95 真犯人の名は幽霊が告げる
116 浮上するムー大陸
123 「緑死館」の地下隧道にて
125 タカマガハラ――幻影の艦隊
といった具合です。
念の為、繰り返しますが、本書のタイトルは、『神器―軍艦「橿原」殺人事件』です。
さらに付け加えると、作中序盤に主人公である石目鋭二が正体不明の人物に告げられる真偽不確かな噂――それは、「沈み行く軍艦の船底には何故か把手が着いていて、その把手を手がかりにして潜水服姿の天皇陛下が逆さまに張り付いているのが見えた」というもの。もう何が何やらです。
自分は推理小説もしくは歴史小説を読んでいると思っていたら、いつの間にか正体不明の幻想小説に本の中身を差し替えられていた――そんな感覚です。(ちょっとジョジョのポルナレフ風)
めくるめく展開は度肝を抜かれるほどに突飛であり、また、メインの主観人物の語り口は時代背景にややそぐわないくらいに軽薄なのですが、本作はけっして外連味を狙っただけの作品ではありません。その奥底には、戦後の日本に生まれ、戦後の日本に生きる私たちへの真摯なメッセージが込められています。
クライマックスでは読者をトランス状態に誘うサイケデリックな展開があるのですが、エヴァ世代の私にはどことなく旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 AIR/まごころを、君に』で描かれる人類補完計画を想起する場面もありました。
振り返ると、いつも以上にしっちゃかめっちゃかな読書感想文になってしまいましたが、このくらいにしておきます。
重厚長大でありながら、それでいてひと筋縄でいかない幻想的・眩惑的な超大作です。軽い気持ちで手を出すには難解に過ぎるきらいはありますが、これから迎える秋の夜長にじっくり時間をかけて読書してみたいという人にオススメします。
(補記)
なお、奥泉光さんは、先日、最新刊『虚史のリズム』を発表されています。『虚史のリズム』は、『グランド・ミステリー』『神器―軍艦「橿原」殺人事件』の実質的な続編にあたるとのことです。またしても1000頁を超える超大作。まとまった時間が取れるときに読みたいと思っています。