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「地球最後の日に食べたいもの」~明日わたしが死ぬ可能性について~

「地球最後の日に食べたいものは?」

この質問を投げかけたとき、
大抵の人は少し悩みながらも、
「◯◯のラーメンかなぁ」とか、
「焼肉とごはんかなぁ」とか
思い思いに答えてくれる。

そしてその答えには必ず
その人がこれまで生きてきた軌跡や
エピソードが含まれている。
そういったことを聞くのが楽しくて、
わたしはよくこの質問を
いろんな人にしてしまう。

わたし自身の
「地球最後の日に食べたいもの」は
餃子である。
こればっかりはもう、腹に決めているのだ。
隕石が落ちる寸前まで、
ホットプレートをジュウジュウモクモク
いわせておきたいのだ。
肉汁たっぷりのアツアツを
しっかり飲み込んでから、
世界を終わらせてほしい。

地球最後の日に食べたいものは餃子。
つまり、死の間際に食べたいものは餃子。

だけど、わたしは毎日餃子を食べない。
明日死ぬと思ってないからである。

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会いたい人に会えなかったり
これまでのように好きなところで
ごはんを食べたり、遊んだり。

そんなことが難しくなって1年が過ぎた。
相変わらず報道は暗く重い。
親しい人たちが住む街を心配したり、
自分の街に過敏になったりしている。
それがどれだけ続くのかもわからない不安と
じめじめとした苛立ちが
世界を真綿で絞めているようだ。

幸運なことにわたしは
今日も元気に生きていて、
美味しいごはんを食べている。
予知能力はないし、死神も見えないので
とりあえずあと数十年生きるという算段で
今日も餃子以外の食べ物でお腹を満たした。

明日自分が死ぬと思って生きる人は少ない。
そしてわたしも、そんな一人だ。

明日地球は終わらなくても、
明日わたしは終わるかもしれないのに。
それでも多分、わたしは
明日も餃子を食べないと思う。

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命を軽んじている訳ではない。
わたしが明日死ぬ可能性は充分にある。
だけど、わたしは
「明日死んでもいいように」
死ぬまで毎日餃子を食べるよりも、
「明日が死ぬ日か分からないから」
好きなものを色々食べてみる人生を
歩きたいんだと思う。

本当に幸運なことに、
わたしは今日も元気に生きていて、
美味しいごはんを食べている。
予知能力はないし、死神も見えないので
明日死ぬかもしれないんだ。
だけど。

今ある自分の体が元気であることが嬉しい。
自分で作るごはんが美味しいことが嬉しい。
友達や家族、大切な人たちが元気で嬉しい。
週末に餃子を作ることが楽しみで嬉しい。
それらすべてに、心から感謝している。

「あなたより不幸なひとがいる」
「あなたより可哀想なひとがいる」
「あなたは恵まれすぎている」
「あなたは不謹慎である」

そういった言葉たちに過度に反応しすぎて
極度に疲弊し、何が何だか分からないまま
怒られないように身を潜めるしかなくなる。
そんな狭苦しい世間の様子を
コロナ渦中で嫌というほど見ている。

もちろん自分に出来ることを行うことは
怠らず、人に迷惑な行為は避けて
日常生活を営むべきだとは思う。
ただ、それで充分に頑張っていると思う。

辛いことが多い世界で、
あなたが幸せに生きていることは
とても素晴らしいことなのだ。
それは間違いないのだから。

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「地球最後の日に食べたいものは?」

やっぱり餃子なんだけど。

最期の晩餐が餃子じゃなかったとしても
後悔しないくらい素敵な人生を歩んでいこう。
そして、幸せになろう。

例え世界か暗くても、
わたしやあなたが幸せでいることは
一筋の光になると思うから。
未来に期待したり、わくわくしたりしながら
明日を待つことは、
世界を少しだけ良くすると思うから。

明日も餃子以外のものを食べる。
週末のわたしが、笑顔で餃子を
食べることに期待して。

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