世界は「未知」で満ちている
仕事の出張で、名古屋に行ってきた。
木曜日前泊、金曜日仕事、土日観光という3泊4日だった。
日常の延長線上で味わえる非日常感があった。
私は東京に住んでいるので、新幹線自由席で飛び乗り1時間40分で着く。
ちょっとした気分転換にはもってこいだ。
名古屋は日本のなかでも都市部だと思うが、とはいえ東京とは異なる。
至るところにモーニングをやっている喫茶はあるし、どちらかというと車文化だし。
私の知らない街で、私の知らない文化を堪能するのは、すこぶる気持ちが良い。
まだ見ぬ世界を覗けば覗くほど、私の精神世界がオープンになっていくような。
過去記事に書いたように、自分ひとりでウジウジしているより、遥かに精神状態が安定する。
前回の記事は、「見知らぬ世界のススメ」みたいな、啓蒙記事だったため、
今回はもう少し、自分の感覚を詳細に語ってみようか。
一言でいうと、世界がキラキラして見えるのだ。
きっと、世界の解像度が上がるからなのだと思う。
何かを見たり聞いたり体験したりして、得たものを自分の中に吸収する時、自分の知らない世界に驚き、これまでの知見と知見が紐づき新たな発見がある。
そうして、もっと知りたいというような知的好奇心に駆られるのだ。
有名な本の読書量の風刺画があるが、正にそういったイメージ。
(雑なまとめ方をするので、厳密な解釈とは異なるけれど)読書量によって世界の見え方や捉え方が異なってくるよ、と言いたい図なのだが
外の世界で得られる知識や知見は、私の狭い世界に穴を開けて光を差してくれるような、それくらい私をガラッと変えうるものなのだ。
名古屋は、フェーン現象とヒートアイランド現象のせいで蒸し暑くなりやすいんだと知った時は、中学校の地理の授業が記憶に蘇ってきて、そっかだからこんな外に出たくないほど酷暑に遭遇しているのかと思ったし。
プラネタリウムで、私たちは天の川銀河に囲まれていると解説があった時とか、遠い何光年かの世界に想いを馳せ、身の回りの全てがちっぽけに思えるような感覚に陥ったし。
トヨタ産業技術記念館で、元々トヨタは織物の自動化機械が出発点だと解説され実物を見た際は、現代でいうChat-GPTのような革命が日本で起こったのだなあと想起した。
お勉強系が多いので、他のことにも言及すると
動物園で、ライオンとかキリンとかカンガルーとか、まあ日常触れ合うことがないだろう動物たちを見ると、なんか人間が相対化されて刺激になるし
きしめん、味噌カツ、ひつまぶしは純粋に美味しくて文化を知れた。
人間だから、どうしても色んなことを忘れてしまうが
全てを忘れず、自分の血肉にできたらどんなに良いだろう。
この世は知らないことだらけ。
夢だらけ。
あと、そういう情報を自ら取りにいける人を尊敬する。
元々私はそこまで知的好奇心がない。
正確に言えば、自分の内的世界に対して矢印が向きすぎていて、相対的に知的好奇心がないように見えるという感じなんだろうけど。
一方、世の中には知的好奇心が旺盛で何でもやってみたり何でも知ろうとしたりする人がいる。
地元の居酒屋の店主にどこで魚を仕入れているか聞いてみたり、別のお客さんにどうして名古屋にいるのか聞いてみたり。
そういう人は、知識のベースがあるから話が盛り上がり、更に色んな知見を知ることができるのだと思う。
私は地理がからっきし駄目なので、地名を言われてもピンと来ないことが多いが、彼ら彼女らは「あ、あそこって○○が有名ですよね!ぶっちゃけ、あの辺ってどうですか??」と話を広げられる。
私より広い世界を手に入れている。
自分の見えている世界の幅を痛感している今だからこそ、私もそういう人に近づいていきたいな。
そんな憧憬と共に、新幹線に乗って東京に帰るのだ。