【読書記録】誰が国語力を殺すのか
どうも、一休誰絵です。最近は気温の寒暖差が激しくて、皆さんは体調は大丈夫でしょうか。しっかり厚手の靴下なり履いて寒さ対策をしてくださいね。
本題です。読了した本がこちら、「ルポ 誰が国語力を殺すのか」
感想、書きたかったけど書けなかった
私は、このnoteの更新が途絶えた(頻度を減らしたというべきでしょうか)理由に、この本を読んでしまったからです。「本当は書きたいのだけど、こんなぴよぴよが感想を書いていいのか」とひどく葛藤してしまいました。
現代社会が抱える問題を全般的に取り扱っているため、言葉にまとめることが非常に難しいのですが、1つの感想なのだなと思ってお読みいただけたら幸いです。
湧き上がる負の感情、「死ね」に収束してしまう
この本、本の帯をご覧になるとわかるのですが、「ごんぎつねで母の死体を煮ている、と誤読する小学生たち」に衝撃を受けます。筆者がこのことに衝撃を受けたことから、国語力の低下、いじめ、不登校といった、子どもを取り巻く社会問題へと展開されていきます。
私が特に引っかかったのが、見出しにも書いたとおり、湧き上がる感情が「死ね」に収束してしまう、というものです。
人は、人間関係を築いていく中で、どうしても折り合いがつかないことに直面します。そんな時「悔しい」「辛い」という感情、「憎い」という相手に対する思いがどうしても出てきますよね。
そんな時、最近の子どもは自分の感情がどれに値するのかが知らずに「死ね」「クソ」という感情で片付けてしまうのだそうです。相手が憎いな、と思ったら「憎い」ではなくて「死ね」と。
そして最悪の場合、人を殺めてしまうという悲劇が起こっているというのです。
不登校
最近では不登校・ネットいじめなどが大きな社会問題とされている一方、「自分がどうして不登校になってしまったのかが分からない」と言う生徒も多いそうです。昔なら原因を教師なり親なりに言うことで、具体的な問題解決へ導くことができたそうなのです。が、不登校の生徒自身がなぜ?どうして?ということを伝えられない(というより、分からない)ために、教師や親もどうすれば良いかが分からずに、解決しようにもできないといいます。
そういえば最近、ニュースで「不登校に対して、学校側が解決してくれない」と見かけました。
現場からすると原因が分からない事例も増えてきているが故に、どう解決すれば良いか分からないという部分もあるのだろうな、と。この本を読んでから、一概に現場のせいにもできないな……と思ってしまいます。
社会問題に対する視点を広げられた
かなり重いルポ本でした。しかし、不登校のニュースを例に、社会問題に対してニュースの情報のまま受け取らず、別の切り口から問題を見ることができたのは、この本のおかげかもしれません。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。