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2024.12.4『インターステラー』IMAX再上映を観てきた
下書きに保存したまま途中で放置してたので記事公開が遅くなってしまったが、昨年12月の頭、せっかく地元でやっていたので『インターステラー』IMAX再上映を観てきた。
私は概念としての宇宙には興味があるけど、正直リアルの宇宙にはさほど興味がなかったので、このテの映画はこれまで観て来ていなかった。
今回は昨年11月にリリースされた角野隼斗さんの『HUMAN UNIVERSE』というアルバムの中にこの『インターステラー』のテーマ曲”Day One”のカバーが収録されていたこともあり、初めて観に行く気になった。
3時間あっという間だった…
時空の歪みのようなものが映像で観られるのはとてもおもしろかったし、どこに誰にフォーカスするのかで感想が全然変わりそうな映画だなと思った。
専門的なことはわからないのだが、私が1つとても強く興味を惹かれたのは、時間の捉え方だった。
普段の生活における時間軸や、過去・現在・未来の捉え方というのは、地球上で人間が生活しやすいように後から人間が便宜上作ったものなんじゃないかと私は思っている。(←単純に時間に縛られるのが苦手という怠惰な性質のせいでその思考に行き着いただけなのだが…)
時々都市伝説系の動画でも過去・現在・未来は同時に起こってるみたいなことを聞くことがあるが、単純に何百億光年も先の宇宙から捉える地球の時間をなんとなく想像するだけでも、我々の認識する過去・現在・未来なんて、そう区別するのが難しいくらい一瞬すぎるのではなかろうか。。(←まずこの思考自体すでに時間の概念に基づいてしまっている…)
宇宙は137億光年どころか、最大470億光年先まで “見る”ことができるし、実際、460億光年先の領域から 出た“光”が観測されている。
― 宇宙は 400 億光年先まで見えている ―
大阪市立科学館研究報告
過去も未来も存在しない、あるのは今この瞬間だけ…というのは、私個人的には量子力学の”観測”について聞いた時にとても納得が行っていた(←これもまた現在様々に言われているけれど…)のだが、
劇中の5次元空間で、この過去・現在・未来が同時にある(と私は捉えた)様子が描かれた映像を観ることで、漠然と想像していたものが解像度高くなったように感じた。
パラレルワールドというのとは似てるようで違う…と思った。詳しくはわからないけど…。
なんにせよ、エンタメとして我々にこうして見せられているものはだいぶ遅れた情報(←作品としてはフィクションだけど)だと思うから、実際の研究の世界ではもっともっと色んなことがわかってるんだろうな…と思う。。
一方で非常に人間味あるストーリーも内包していて、どんなに遠い星に行こうと人間のエゴは変わらないんだな…というのも興味深かった。
あんな宇宙の遠い星で、時空も超えてやっと出会った(先に居た)人間と、どっちが地球に帰るかで取っ組み合いになってるシーンを観て、人間はこういう生き物だ…というのを改めて見せつけられた。
哀しいよな…と思いつつ、やはりそうなんだ…と受け入れる必要もある。綺麗事だけじゃ生き残れないから。
ただただ自分のエゴのために地球に帰りたい人と、どうしても地球の家族を守りたい人、どちらか一方しか帰れない…となった時、
後者が選ばれるのもまた、観てる側の「そうあって欲しい」願望を体現してくれていたように思った。
現実では理不尽なことも起こるから、尊い愛が勝つという確証もないと思うが、映画のストーリーとしては愛がリスペクトされていて、そういう意味では後味は良かった。
研究する方々にはとことんやって欲しいな…と思っている一方で、後から地球に現れた人間という生き物はどこまでもエゴの塊なんだな…それ以前から存在する自然にも宇宙にもズカズカ踏み込んで、変えたり壊したりし続けてるんだよね…とか思ったりもして、ちょっと複雑な気持ちにさせられる映画でもあった。。