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だんだん不穏になってきた

わたしの公休日は月と金だ。
5連勤2連休という働き方がキツイので連勤はなるべく3日までにしている。
平日を休みにしておいて本当に良かった。

母の介護施設から連絡があり、救急搬送されたという。

結果的にわたしが病院に駆け付けたときには母はケロッとしており、介護施設からのお迎えの車を待っている状況だった。

パーキンソン病はドパミンを補う薬を飲むのだが、数年経つとドパミン切れを起こしやすくなるようだ。
ドパミンが切れると一時的にウェアリングオフと呼ばれる機能停止状態になることがある。どうやら今回はそれになって少し意識が低下した。

母は最近、施設のベッドから転げ落ちることがしばしばある。

8月は介護職員さんからコロナに感染した。
もれなく面会に行った父も感染した。
同じ日にわたしと帰省中の息子も面会に行ったのに大丈夫だった。

父も母もワクチンを確か6回も打っているはずだが、アレの効果は私の中では、もはや地に落ちている。わたしは3回、息子は2回しか打っていない。あんな副反応の強いワクチンは二度と打たない。

母も不穏だが、ここへ来て義父も不穏になってきた。コケて腰を打ち、骨にヒビが入ったのだ。そこから食欲が無くなり足腰が急激に衰え、家の中でコケ、トイレが間に合わなくなり、入院し、介護申請中であると義母から聞いた。こちらは夫が対応しているのでわたしはまだ口を挟んでいない。
義母が以前、義父の介護は私がなんとかすると言っていたのでお言葉に甘えることにする。義父は82歳、義母は73歳。義母はまだイケる。

私は先日、葬儀社に登録したばかりだ。

やはり虫の知らせとはよく言ったもので転ばぬ先の杖は大事だ。
わたしは今回、早速使うことになるかと覚悟をして病院に向かったのだ。
病院に向かう前に銀行に寄って預かっている母の口座から1日の限度額をおろした。これはもう、もしものお金として家に置いておく。


パーキンソン病の母の介護の始まりから施設入居までの記事をマガジンにしている。
だいたいセオリーどうりの介護日記だが、誰かに読んでもらえたらとまとめてある。

こうして見ると介護はとにかく転倒から始まるというのは本当だと思う。
恐ろしいことである。これこそ「ほんこわ(本怖)」じゃないか。

わたしはタンパク質とカルシウムと運動をますます意識してしまうだろう。

では、本日土曜日につき、ピラティスに行って参る!


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