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気づきの後は「おためし」がくる?

大きな気づきから生まれた前回の記事「「置かれた場所で咲きなさい」の意味」。

公開後、たくさんの試練というかね、「おためし」が来てます。

わかったんだよね?
気づいたんだよね?
置かれた場所で、咲いてごらん?

って。
すごくってもう。

こんな夕暮れの小径に逃げ込みたい。
そんな風に思った数日間でした。
(ちなみに画像は僕が生成AIで作ったもの)

あのnoteで書いた、「置かれた場所で咲く」ということ。
今のこの在り様そのもので在る」ということ。
そして、「それだけでいい」ということ。

この数日は、その気づきに戻っては、思考(妄想過去未来)の世界に引っ張られてを繰り返していました。
繰り返しています。

ずっと今ここにいるのに、どこかにいっちゃってね。
終わった事と戦ったり。
来ていないことから逃げたり。
体調がすぐれなかったり(風邪が治りきってない)。
「急にどうした?」と思うような流れに巻き込まれたり。

でも、起こることはしょうがない。
起こることは起きちゃってるんだし。
今、そうなってるってことだから。

気づきの後の試練。
それはきっと、向き合えるようになった分だけの「おためし」だから。
流れに逆らわず、本心を大切にしつつ、今を生きよう。
そう思います。

この試練のおかげで、また新しい気づきも生まれました。
それが今深まっていっているところ。
次のnoteはそれについて書けたらなと思っています。

じゃあ今日はここまで。
短いけど、このくらいがちょうどいい気もするね。
読んでくれてありがとう(^^)

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