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「鬼面 人を驚かす」本の題名

最近出版される本は、紙の本だけでなく、最初から電子書籍でも買えることが多い。
書店に行かずとも、電子書籍のサンプルを見て、内容を把握してから買うことができるので、近くに書店が無い人には大助かりである。
紙の書籍の発売からしばらくした後に、電子書籍を出す出版社もあるが、
目次しかなくて、何の参考にもならないサンプルを時々平気で出す岩波書店に比べれば、大いにましである。

今回取り上げる本は、題名に魅かれて、電子書籍のサンプルを読んでみた。
この本の冒頭で、小学校4年生の国語の教科書に載っている、新美南吉『ごんぎつね』の授業風景が取り上げられている。
青空文庫に載っているこの作品の中で、以下の部分についてのグループ学習である。
「ごんぎつね」は、こぎつねの名前である。

(「ごんぎつね」は)兵十の家の前へ来ました。
その小さな、こわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。
よそいきの着物を着て、腰に手拭をさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。
大きな鍋の中では、何かぐずぐず煮えていました。

「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう」
お午がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵さんのかげにかくれていました。
いいお天気で、遠く向うには、お城の屋根瓦が光っています。
墓地には、ひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。
と、村の方から、カーン、カーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。
やがて、白い着物を着た葬列のものたちがやって来るのがちらちら見えはじめました。
話声も近くなりました。
葬列は墓地へはいって来ました。
人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。
ごんはのびあがって見ました。
兵十が、白いかみしもをつけて、位牌をささげています。
いつもは、赤いさつま芋みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
lごんはそう思いながら、頭をひっこめました。

新美南吉『ごんぎつね』

教師は、「大きな鍋の中では、何かぐずぐず煮えていました。」という文を取り上げ、「 鍋で何を煮ているのか」について、生徒たちをグループに分けて話し合わせた。

この設問の意図は何か?教師はどういう指導案を持っているのか?

この教材は、50年間、小学校4年生の国語の全教科書に載り続けているそうで、授業での指導案も蓄積されている。それについては別の機会で取り上げるが、この設問は、話の主筋とは全く関係ない、と言っていい。

この奇妙な問いに対する生徒たちの回答が著者にとって想定外だった、というところから、この本の作者は、「 誰が国語力を殺すのか」というテーマに突き進んでいく。

生徒たちの回答は、こうであったという。

「この話の場面は、死んだお母さんをお鍋に入れて消毒しているところだと思います」
「私たちの班の意見は違います。もう死んでいるお母さんを消毒しても意味がないです。それより、昔はお墓がなかったので、死んだ人は燃やす代わりにお湯で煮て骨にしていたんだと思います」
「昔もお墓はあったはずです。だって、うちのおばあちゃんのお墓はあるから。でも、昔は焼くところ(火葬場)がないから、お湯で溶かして骨にしてから、お墓に埋めなければならなかったんだと思います」
「うちの班も同じです。死体をそのままにしたらばい菌とかすごいから、煮て骨にして土に埋めたんだと思います」

石井 光太『ルポ誰が国語力を殺すのか』文藝春秋、2022

テレビのクイズ番組のような質問に対して、どれもよく考えた回答だと思うが、私はおかしいのだろうか?

しかし、この本の著者や、教師たちはこの回答に拒否反応を示す。
なぜなら、著者や教師が期待していた答えは、こうだったからだ。

葬儀で村の女性たちが正装をして力を合わせて大きな鍋で何かを煮ていると書かれていることから、常識的に読めば、参列者にふるまう食事を用意している場面だと想像できるはずだ。

上掲書

そして、彼らは、この頃の子どもはおかしい、と言いだす。

当初、私は生徒たちがふざけて答えているのだと思っていた。
だが、八つの班のうち五つの班が、三、四人で話し合った結論として、「死体を煮る」と答えているのだ。
みんな真剣な表情で、冗談めかした様子は微塵もない。
この学校は一学年四クラスの、学力レベルとしてはごく普通の小学校だ。
(中略)
校長室でお茶を飲んでいる時、私は『ごんぎつね』のことを持ち出し、ああいう意見はよく出るのかと尋ねた。校長の男性は、三十年以上の教員経験があり、国語を専門にしていた。
彼は次のように語った。
「今日のケースは少々極端でしたが、最近は多かれ少なかれあのような意見が出るのは普通です。教員もそれをわかっているので、先ほどの授業でも班になって話し合わせたのでしょう。それでもああいう回答になってしまったようですが……。残念ながら、似たようなことは、私も他の学校でしばしば経験してきました」

上掲書

しかし、この問い自体、国語という教科が目指すものとは全く関係ない。
しいて言えば社会科の領域ではないのか?
そしてこれは、グループ討議することではなく、教師が過去の葬儀はこうしていた、と事実を教えればいい話である。
その時の参考として、『ごんぎつね』を使うのなら、イメージが明瞭にわかる、いい使い方だと思う。
葬儀という習俗について、実際に小学生の社会科で習うかどうかはわからないが、国語で扱うことではない。
野暮なようだが、文部科学省の、「小学校国語 学習指導要領」によると、国語という教科の目標は、以下の通りである。
社会生活の常識を培うなんてことはどこにも書かれていない。

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解
し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
⑴ 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことがで
きるようにする。
⑵ 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像
力を養う。

⑶ 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを
自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

文部科学省『小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説 国語編』

日本では、小学校4年生で、葬儀を経験した子どもはどれくらいいるだろうか?

葬儀を実体験していない子どもたちが、共同して思考し、想像力を働かせた結果としての、先の回答ではないだろうか?それならば、文部科学省の学習指導要領にちゃんと沿っている。

ところで、この記事によると、現在でも、納棺の前に故人をお風呂に入れてきれいにしてあげる「湯灌」という行為が行われることがある。

この話はおとぎ話なのだから、遺体を大きなお鍋で湯灌してあげている状況を想像しても、おかしくはないだろう。消毒のために「ぐずぐず煮」たとしても、筋が通るかもしれない。エボラウイルスは、遺体に触れることで、多くの感染を引き起こした。この老人の死因はわからないが、病死だったら、そういう風習があったとしても不思議とは思わない。

また、著者や教師たちが、子どもたちの回答に残酷さを感じて嫌悪したとしたら、彼らは『カチカチ山』の話を知らないのだろうか? 
あるいはすっかり忘れたのか?
ウィキペディアによると、このお話の前半部分はこのように要約される。

昔ある所に畑を耕して生活している老夫婦がいた。
老夫婦の畑には毎日、性悪なタヌキがやってきて不作を望むような囃子歌
を歌う上に、せっかくまいた種や芋をほじくり返して食べてしまっていた。業を煮やした翁(おきな)はやっとのことで罠でタヌキを捕まえる。翁は、媼(おうな)にタヌキを狸汁にするように言って畑仕事に向かった。タヌキは「もう悪さはしない、家事を手伝う」と言って媼を騙し、縄を解かせて自由になるとそのまま媼を杵で撲殺し、その上で媼の肉を鍋に入れて煮込み、「婆汁」(ばぁ汁)を作る。そしてタヌキは媼に化けると、帰ってきた翁にタヌキ汁と称して婆汁を食べさせ、それを見届けて正体を表すと、「婆汁食べた、婆汁食べた!流しの下の、骨を見ろ!」嘲り笑って山に帰った。翁は追いかけたがタヌキに逃げられてしまった。

ウィキペディア

読み返してみると、つくづく残酷な話でしたね、この「カチカチ山」は。
でも小学校4年生なら、この話を覚えている子どもも多いだろう。だから、これに影響されて、先のような回答を考えたのかもしれない。両方ともおとぎ話なのだから。

だが、くだんの学校の校長は、次のように言う。

「学校は学力を育てる場なので、子供たちが誤読をするのは悪いことではありません。そこで教員に正してもらうことで、読解力を高めていけばいい。でも私は、こうした子たちの反応は単なる読み違いではないと考えています。もし『ごんぎつね』の鍋のシーンを、家が食堂を経営しているとか、喪服を消毒していると読んだのだとしたら、誤読と言えるでしょう。ありえないことではないからです。
しかし、母親の死体を煮ているというのは、常識に照らし合わせれば明らかにおかしいとわかるはずで、平気でそう解釈してしまうのは単なる読み間違えではありません。こうした子たちに何が欠けているのかといえば、読解力以前の基礎的な能力なのです。登場人物の気持ちを想像する力とか、別の事を結び付けて考える力とか、物語の背景を思い描く力などです。自分の考えを客観視する批判的思考もそうでしょう。それらの力が不足しているから、常識に照らし合わせればとんでもないような発想をしているのに気づかず、手を挙げて平然と答えられてしまう。読解力の有無で済ましてはいけないことだと思うのです」。

石井 光太『ルポ誰が国語力を殺すのか』文藝春秋、2022

30年もの間、この校長は何をしていたのだろうか?
自分の想像力と記憶力と学習意欲が衰えてきたことに気がつかないのだろう、学校という同類の人しかいない職場では。
まともな指導者なら、なぜこんなことを生徒に考えさせたのか、教師に問うべきであるが、彼らの常識は、個々の教師のやることに口を出さない、ということなのだろう。

彼らは、小学4年生に、「大人の」常識を持つ「小さな大人」を期待しているのだろうか?

ところで、この本の中では、「想定外」の答えを出した生徒たちに、教師がどう言ったかは、触れられていない。

だが、もし優秀な教師なら、こういう時こそ機転を利かすだろう。かつての「野辺送り」とか、今の葬儀のありようとか、世界では今も土葬を行う国が多いことなどを、口頭で、あるいはタブレット端末があればそれで説明するだろう。

でも、この設問自体が国語の授業では無用なので、本当はそんなことに時間をさかなくてもよかったことだ。

一方、この本の著者は、この出来事から、「誰が国語力を殺すのか」という自分のテーマに突き進むのだろう(冒頭部分のサンプルしか読んでいないので、どういう過程を経て、どういう結論に至るかはわからない)。

本書でいう国語力は狭義の読解力と違って、想像力や情緒力なども含んだ感覚的なものであるため、数百人の子供に同じテストを受けてもらって点数を出して数値化するということが極めて難しい。

上掲書

感覚的な概念を調査対象としているので、ルポルタージュという形式にしました、ということだ。

私が感心するのは、書店でこの本を見かけたら思わず手に取りそうな題名のつけ方である。これもマーケティングの手法なのだろうか?
「国語力を殺す」とは、週刊誌かスポーツ新聞の見出しのようだ。あるいは、冒頭の部分で、著者が例示する、子どもたちの乱暴な言葉遣いと同様のレベルだ。

タイトルは、「小4国語「ごんぎつね」指導アイデア」から、とっても美味しそうに見える栗の写真を引用。

The title of a book that surprises people with a demon mask

Recently published books are often available not only as paper books but also as e-books from the beginning. Even if you don't go to a bookstore, you can see a sample of the e-book and understand the contents before you buy it. Some publishers release e-books some time after the release of paper books. But they're a lot better than Iwanami Shoten, who occasionally puts out samples with nothing but a table of contents.

I read a sample e-book of the book I am going to pick up this time because I was fascinated by the title. At the beginning of this book, the class scene of Nankichi Niimi's "Gongitsune", which is included in the Japanese language textbook for fourth graders, is taken up. This is a group study about the following parts in this work listed in Aozora Bunko.
"Gongitsune" is the name of a small fox.

("Gongitsune") came in front of Heiju's house. Inside the small, crumbling house was a crowd of people. Women in modest kimonos with towels tied around their waists are kindling a fire in the open hearth. Something was slowly simmering in the big pot.
"Oh, it's a funeral," thought Gongitsune.
"Who died in Hyoju's family?"
After noon, Gongitsune  went to the village cemetery and hid behind the Rokujizo. The weather is nice, and the roof tiles of the castle are shining in the distance. In the cemetery, Higanbana continued to grow like a red cloth.
Then, a bell rang from the village. It's the signal for the funeral.
After a while, Gongitsune  began to see some funeral procession people dressed in white. The voice is getting closer. The funeral procession entered the cemetery.
After people passed by, Higanbana was stepped on and broken.
Gongitsune  stood up and looked up. Heiju is wearing a white kamishimo and offering a mortuary tablet. His normally cheerful face, like a red sweet potato, was somewhat withered today.
"Hahan, the one who died was Heiju's mother."
Thinking that, Gongitsune  pulled his head back.

Nankichi Niimi "Gongitsune"

The teacher picked up the sentence "Something was simmering slowly in the large pot" and divided the students into groups to discuss "what was being boiled in the pot".

What is the purpose of this question? What guidance do teachers have?

This teaching material has been included in all Japanese language textbooks for 4th grade elementary school students for 50 years, and teaching plans for classes have been accumulated. I'll talk about that on another occasion, but it's fair to say that this question is completely irrelevant to the main topic of the discussion.

From the fact that the students' answers to this strange question were unexpected for the author, the author of this book rushes to the theme of "Who will kill the Japanese language ability?"

The students' answers were as follows.

"We think the scene in this story is putting the dead mother in a pot and disinfecting it."
“Our group has a different opinion. It is no use sterilizing a dead mother anymore. Besides, there were no graves in the old days, so instead of burning dead people, they boiled them in hot water and turned them into bones". 
"There must have been a grave in the old days, because my grandma's grave is there. But in the old days, there were no places to burn them (crematory), so we think they had to dissolve them in hot water and turn them into bones before burying them in the grave.”
"It's the same for our group. If the corpses were left as they were, germs would be terrible, so we think they boiled them into bones and buried them in the soil."

Kota Ishii, Reportage: Who Kills Japanese Language Skills? Bungeishunju, 2022

I think they're well thought out answers to questions like those from a TV quiz show, but am I crazy?

However, the authors of this book and teachers reject this answer. Because the answer that the authors and teachers expected was this.

It is written that the women of the village are dressed in formal attire and work together to boil something in a large pot at the funeral.
If you read it with common sense, you should be able to imagine the scene where a meal is being prepared for the attendees.

ibid

And they say that children these days are strange.

At first, I thought the students were just joking. However, out of the eight groups, five groups answered, "Boil the corpse," as the conclusion of the discussion among three or four people. Everyone has a serious expression, not even the slightest bit of a joke. This school has four classes per grade, and is a very normal elementary school in terms of academic ability. (Omitted)
When I was drinking tea in the principal's office, I brought up "Gongitsune" and asked if that kind of opinion was often expressed by the students.
The male principal had more than 30 years of teaching experience and specialized in Japanese. he said:
“Today’s case was a little extreme, but it’s normal for people to express opinions like that more or less these days. The teachers know this too, so they probably discussed it in groups during the class just now. It seems that the answer was something like that... Unfortunately, I have often experienced similar things at other schools."

ibid

However, this question itself has absolutely nothing to do with what the Japanese subject is aiming for.
In other words, isn't it the domain of social studies?
And this is not a group discussion, but a story that the teacher should tell the fact that the funeral was like this in the past.
As a reference at that time, if you use "Gongitsune", I think it is a good way to understand the image clearly.
I don't know if the customs of funerals are actually taught in elementary school social studies, but it's not something that can be dealt with in the Japanese language.
It may seem uncouth, but according to the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology's "Elementary School Japanese Courses of Study," the goals of the Japanese subject are as follows.
It is not written anywhere about learning the common sense of social life.

Through linguistic activities, we aim to develop the qualities and abilities to understand and express appropriately in Japanese as follows.
(1) Understand the characteristics of the Japanese language necessary for daily life and be able to use it appropriately.
(2) Develop the ability to communicate and develop thinking and imagination in daily life interactions with people.
(3) Recognize the merits of words, develop a sense of language, be aware of the importance of the Japanese language, and cultivate an attitude of respecting the Japanese language and improving its abilities.

Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology "Course Guidelines for Elementary Schools (Announced 2017) Commentary Japanese Edition"

How many children in the fourth grade of elementary school in Japan have experienced a funeral?

Aren't the previous answers the results of children who have not actually experienced a funeral, thinking together and using their imagination?
If so, they are in line with the curriculum guidelines of the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology.

By the way, according to this article, even today, there is an act called 'yukan', in which the deceased is given a bath before being placed in a coffin to cleanse them.

Since this story is a fairy tale, it wouldn't be strange to imagine a situation where the corpse is being boiled in a large pot. Even if it is boiled for disinfection, it may make sense. The Ebola virus caused many infections through touching corpses. I don't know the cause of this old woman's death, but if she died of illness, I wouldn't be surprised if there was such a custom.

Also, if the authors and teachers dislike the children's answers because they feel cruelty, do they not know the story of "Ticking Mountain"?
"Or have you completely forgotten?"
According to Wikipedia, the first half of the story can be summarized like this:

Once upon a time there was an old couple who lived by plowing a field.
Every day, a vicious raccoon dog(tanuki) would come to the old couple's field, sing a song that wished for a bad harvest, and pick up and eat the seeds and potatoes they had sown.
The frustrated old man finally catches the tanuki with a trap. He told his wife to make tanuki soup and headed off to work in the fields.
The tanuki deceived the woman by saying, "I won't do bad things anymore. I'll help you with the housework."
When the tanuki let her loose its rope and was free, the tanuki beat her to death with a pestle. Then he put the meat of her in a pot and stewed it to make 'tanuki jiru'.
Then the tanuki disguised itself as an old woman and fed the old man who came back to eat the soup that was disguised as tanuki dog soup.
When he saw it and the tanuki show his true identity,
"You ate your wife's soup, you ate your wife's soup! Look at the bones under the sink!"
The tanuki sneered and returned to the mountain. The old man chased after him, but the tanuki ran away.

Wikipedia

When I read it again, it was a very cruel story, this "Ticking Mountain". However, there are many children who remember this story in the fourth grade of elementary school. Therefore, the children may have been influenced by this to think of the answer above. Both are fairy tales.

However, the headmaster of the old school says:

“School is a place to develop academic ability, so it is not a bad thing for children to read incorrectly.
But I don't think these children's reactions are just misreadings. If you read the hot pot scene in Gongitsune as a family running a restaurant or disinfecting mourning clothes, you've misread it. Because it's not impossible.
However, the fact that the mother's corpse is being boiled is clearly strange if you compare it with common sense, and it is not just a misreading that you interpret it as such.
What these children are lacking is the basic ability before reading comprehension. It is the ability to imagine the feelings of the characters, the ability to connect with other things, and the ability to imagine the background of the story. The same is true for critical thinking, which objectively views one's own thoughts. Because they are lacking in those abilities, they don't realize that they are coming up with ideas that are outrageous when compared to common sense, and they raise their hands and calmly answer. I don't think reading comprehension is enough."

Kota Ishii, Reportage: Who Kills Japanese Language Skills? Bungeishunju, 2022

What has this principal been doing for 30 years? He probably doesn't realize that his imagination, memory, and willingness to learn are failing in a workplace like school. A decent leader should ask the teacher why he made the student think like this, but their common sense is that they don't interfere in what individual teachers do.

Do they expect fourth graders to be "little adults" with "adult" common sense?

By the way, this book doesn't mention what the teacher said to the students who gave "unexpected" answers.

But if you're a good teacher, you'll use your wit at times like this. They will probably explain verbally or, if they have a tablet device, what they used to do, how funerals are done today, and how many countries around the world still hold burials.

However, this question itself is useless in a Japanese language class, so teachers really don't have to spend time on that sort of thing.

On the other hand, from this incident, the author of this book will probably pursue his own theme, "Who kills Japanese language ability?"
(Since I have read only the sample of the opening part, I do not know what kind of process this author went through and what kind of conclusion he reached).

The reason why the principal says so is the debate about the "decline in reading comprehension" that has been occurring mainly in the education industry in recent years.

ibid

If you want to write about "decline in reading comprehension," the beginning of the book is irrelevant and ludicrous. It's like a horse running in the wrong direction on a racetrack, so I don't really want to buy this book. In that sense, e-book samples are a great help.

Since the author is researching sensuous concepts, he chose the format of reportage.

What impresses me is the way the book is titled so that if you see this book in a bookstore, you will pick it up without thinking. Is this also a marketing technique?
“Kill your language skills” seems to be a headline in a weekly magazine or a sports newspaper. Or it's on the same level as the children's rough language that the author exemplifies in the beginning.

The title is a quote from a picture of chestnuts that look very delicious from the "Gongitsune Teaching Ideas for the 4th Language of Elementary School".


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