いま再び「地味な旅」のススメ 〜 滋賀県長浜市より。
10〜11月はビワマスが禁漁になるので、その前に琵琶湖に行ってきました。
ビワマスとは、琵琶湖が誇る固有種の一種。ここに来ないと食べることのできない、柔らかく、程よく脂の乗った淡水魚です。
そんなこと、忘れていれば半年くらいすぐに経つのに、うっかり思い出してしまい、しばらく食べられないことを思うと禁断症状が出てしまう。ビワマスに限らずホンモロコとかイサザとか、いずれも香ばしい固有種の数々。
とは言え、琵琶湖の食については、すでに何度かnoteに書きました。ここで再び同じことを書くのもナンなので、少し違うアプローチで書いてみようと思います。
その内容は表題の通り。「地味」という表現が適切かどうかわかりませんが、正解を探りながら書き進めたいと思います。
(そして今回も長い投稿になってしまいました。お時間のあるときにどうぞ)
まずは地元から始める、「地味な旅」のレッスン。
「家のドアを開けて一歩外に出れば、それは旅の始まり」
たしか、ボブ・ディランがそんなことを言っていたような気がします。
僕はコロナ禍の頃、どこにも出かけられないときにこの言葉を思い出し、神奈川県にしては人口密度の低い、自宅周辺の三里四方を歩き回るようになりました。
すると初めて見えてくるいろいろなこと。初めての道、地元では初めて見る古民家。意外なところに樹齢数百年の老木をみつけたり、坂の一つひとつに名前があることを知ります。その名前から、「昔、この辺りでは養蚕が盛んだったんだな」とか、「牛を飼う家が多かったらしい」ということもわかってくる。
知ったところで、暮らして行く上では何のトクにもならないことばかり。しかし普段から見慣れたこの地元でも、こうして時間を行き来する旅に出ることができる。これを知ったことは、コロナ禍が僕に残したとても大きな収穫でした。
こうしてほとんどの道を歩き尽くした後で、次に目をつけたテーマは地形でした。
僕が勝手に師と仰ぐ「旅のカリスマ」、民俗学者の宮本常一は、「初めて訪れた土地では、まず最初に一番高いところへ行きなさい」と語っています。
そうだ、それだ。
まず、地図で調べてその地点に行ってみる。僕の地元の最高地点はどこにでもあるような住宅地に過ぎないけれど、「どうせ見るべきものが無いのだったら、水になった気持ちで歩いてみようか」と思いつきます。
水になって、低い場所、低い場所へと歩いてみる。するとどうでしょう。やはり小川が現れるんですね。小川があれば、その周辺には農地もできる。農地があれば集落ができる。そして見晴らしの良い尾根には神社がある。こうして何百年もかけて少しずつ、この地域ができあがってきた歴史を知るわけです。
しかし、そのような歴史などお構いなしに、地形を分断して高速道路が引かれ、ビルが建ち、田んぼが消えて新たな市街地ができる。僕たちが見ているものは、長い歴史の最後の一瞬に過ぎない。だからこそ、時間を越えた旅が必要になるのではないか。過去にここで生きてきた人たちの暮らしを想像し、そこから選ぶべき未来があるのではないか。
そんなことを繰り返し考えるうちに、単なる物見遊山ではない、「学ぶ旅」がしてみたくなったのです。
いまではコロナ禍も去り、誰もがどこへでも自由に行けます。だったらここで敢えて、コロナの頃に地元で行っていたことを、そっくり旅先でも行うとどうなるか。この技術さえ身につけば、混雑する観光地に行かなくても、どこでも「学ぶ旅」ができるというわけです。
なお、僕が「学ぶ旅」を「地味な旅」と呼ぶ理由は、「学ぶ」だと少しエラそうだから。結局やっていることは、行く先々で歴史のある建造物の解説を読んだり、地元の資料館で展示を眺めたり地誌を読んだり、という、見た目ではとても地味なことを続けているからです。
地味な旅の実践編。旧街道を探す。
話が抽象的になってきたので、少し長浜市周辺の話に戻しましょう。
僕が関東地方からクルマで琵琶湖へ向かうとき、かなり手前の関ヶ原インターで下りることがあります。なぜならインターを下りて一般道を使っても、長浜市内までは30kmほど。そしてその途中には、関ヶ原の古戦場があり、旧中山道があり、近江に入れば広大な田んぼがあり、そのすべてを伊吹山が見守っている。
観光地でも何でもない普通の道だけど、「地味旅」の推奨者としては、これほど素敵な道を見逃すわけには行きません。
僕は戦国時代のマニアではないけれど、この辺りをクルマでゆっくり移動していると、歴史の本に出てくる地名が連なっていてゾクゾクします。そして、今ではどこにでもありそうな、ありふれた道として残されている。この道が、こうなるまでに流れた時間を思ってみたり、ありふれた道でいられる平和のありがたさを感じているうちに、いつしかこの道が、僕にとってのパワースポットになりました。
柏原宿で、見学しておきたい商店がありましたが。
旧中山道で近江に入り、最初の宿場町が柏原宿。JR東海道線(中山道なのに!)の柏原駅からも、歩いてすぐのところにあります。
延々1.5kmほども続くという大きな宿場町。皇女和宮が江戸に下るとき(行列の総勢約4000名!)も、ここに本陣を構えたとのこと。とは言え、今は奈良井宿や妻籠宿のように町家の建ち並ぶ観光地ではなく、通り沿いのほとんどの建物が普通の住宅に変わっています。
だから良いとも言えますよね。建物が変わっても道は残る。そして旅籠や造り酒屋や本陣などなど施設の跡には札が建てられている。歴史資料館もある。それらを見ながら、かつての賑わいを思い描くのが地味旅ならではの楽しみです。
そして、この宿場の中に、一軒だけひときわ異彩を放つ建物があります。それは艾(もぐさ)の製造販売を行う『伊吹堂亀屋佐京商店』。創業1661年というから、中山道が整備された頃からここで艾を作り続けている。しかもこの建物は江戸中期に建てられたもので、1850年代に歌川広重が描いた柏原宿でもこの店が描かれています。
ところが残念なことに、この店は一般公開をやめてしまったとのこと。艾をご入り用の方のみ、店の隅の売り場に案内してくれます。もちろん内部の撮影も不可。
誰もが歩いて旅をしていた時代には、店内で庭園を眺めてひと休み。お茶などいただいた後に艾を買って帰る客がほとんどだったのだろうけど、今では人が押し寄せて写真だけ撮られて、艾なんて誰も買わない、というのでは、店を閉めてしまう気持ちもわかります。切ないですね。せめて、店主の方が非公開の店内をきれいに保存しておいてくれればいいけれど。
いかに旧街道とは言え、今では民家が建ち並ぶ住宅街でもあります。無闇にカメラを向けないよう、気をつけなくてはいけません。
ちなみに、この店の六代目店主〔1782年生まれ)は「伊吹の艾」の歌を書き、当時最強のインフルエンサー集団であった江戸吉原の芸者たちに大枚をはたいて大いに歌わせ、やがて「伊吹の艾」は全国で知られるブランドになった。つまり、日本で最初のCMソングは、この店から生まれたというわけです。
長浜『み〜な』の編集室を表敬訪問。
僕は仕事がら、旅先で地域情報誌を手に取ることが多いのですが、この雑誌は傑出してすごい。決して地味旅を提唱する雑誌ではありませんが、地味旅の教科書としても、見過ごしてはならない実力です。
以前もnoteで、この雑誌について熱く語ったことがあるので、ぜひご覧ください。
僕が初めて琵琶湖に興味を持ったのが2年前の秋、つまり今ごろ。
とあるきっかけにより、滋賀県立琵琶湖博物館で開催されていた企画展に行き、初めて琵琶湖が世界で三番めに古い古代湖であることを知り、ゆえに琵琶湖には独自の生態系があることを知り、地域ぐるみでその生態系を守っていることを知り、湖畔の街にはそれぞれ独自の食文化があることを知り、大いにカルチャーショックを受けました。つまり僕と琵琶湖との出会いは、つい最近のことなのです。そのときに書いたnoteも貼っておきましょう。
ちょうどその頃、滋賀県出身の編集者仲間から、「長浜にスグレた雑誌があるよ」と勧められたのが、この『み〜な』でした。
こう見えても、僕は雑誌編集者です。スグレた雑誌は一発で見抜きます。ウェブサイトを見ると、たしかにそんじょそこらの地域情報誌とは違う。特集は地域の歴史から地理、食、生活、文化などなどが、主観に頼らずアカデミックに掘り下げられている。しかし、たまに暴走する地元愛。賛成です。取り急ぎ、石田三成、びわ湖の漁師、伊吹山についての特集をネットで購入。
そして去年の秋、泊まっていた宿から数軒隣りにこの編集部があることを発見。驚きのあまり、思わずアポ無しの飛び込みで、バックナンバーを拝見しにお邪魔したことがあります。で、今回はアポを取り、改めて参上したという次第。
以前、noteには『み〜な』の編集者は女性ひとりと書きましたが、常勤のスタッフの方に加えて、10名+αのライターさんもおられるとのこと。失礼しました。じゃないと、こんなに細かい内容の雑誌、簡単には作れませんよね。
僕は一人だけと思っていた編集の方から、どのように編集されているのかを伺ってからすぐに帰ろうと思っていました。しかしベテランの方から若いライターさんまで、思いのほか大勢いらして大いに慌てふためき、つい話が長くなり、2時間近くもお邪魔してしまいました。
そんな会話の中から紹介されたのが、たとえばこんなバックナンバー。
そして決定的だったものが、この本。実は今回、湖北地方に多く残されているという、「巨樹」を見て回りたいと思っていました。するとこんな本まであるんだもんなぁ。参りました。そしてお話を伺ううちに、一日やそこらで見て回れるような広さではないこともわかりました。
もう、こうなってしまうと、琵琶湖デビュー後間もない僕など何の抵抗もできません。顔を洗って出直して来ます。ということで、今年の紅葉シーズン、巨樹を求めて、改めて湖北地域を地味に歩き回ることにしました。
「暮らすように旅する」という言葉が流行る理由。
今回の投稿も長くなってまいりました。そろそろまとめに入らねば。
最近の旅行業界で、何かと話題の外国人観光客を見ていると、大きくふたつに分類されるのではないでしょうか。
ひとつは、とにかくSNSで話題になっている名所を見たい人たち。コンビニの屋根に富士山とか、アニメに登場する踏切とか、お目当ての場所を背景に、証拠写真として自撮りをしては次に移動する。目的は観光ではなく、写真を撮ることなのかもしれない。
もうひとつは、何かを学ぼうとする人たち。ラーメンの味から、日本の歴史や伝統工芸、伝統芸能、あるいは普通の日本人の暮らしまで、学び続ける旅。こちらはリピーターが多いので、少人数で行動している場合が多い。
前者は写真さえ撮れば、二度と来ないかもしれない。となると、普通は後者のグループの方が歓迎されますよね。
実を言うと、これは外国人観光客に限ったことではなく、日本人観光客の国内旅行においても、まったく同じことが言えるのではないか、と思います。
かつて、「ガイドブックには載っていない自分だけの旅」が自慢される時代もありました。しかしSNSの普及は、旅を「人と同じ観光名所に行く旅」、あるいは「人に見せるための旅」の時代に巻き戻してしまったような気がします。
消費するだけの旅。消費される観光地。これではあまり長続きしそうにないし、いい関係とは言えませんよね。
一方で、僕が「地味な旅」を提唱するまでもなく、そういう旅を指向する人が増えているように思います。
その証拠に、最近は「暮らすように旅する」というキャッチフレーズを使う宿泊施設が増えてきました。とくに分散型の宿泊施設が、その代表格。たとえばフロントと部屋とレストランが離れていて、その移動の間に街のようすも見て回ろうというもの。
ただし、そういう施設って宿泊料も高くなりがち。宿泊料がもったいないので、分散された施設の外には出ないという矛盾も生まれそうです。
とは言え、「暮らすように旅する」ことは、やがて「地味な旅」「学ぶ旅」に通じるはず。もっとカジュアルな分散型施設があればいいのかも。あるいは鍵だけ渡してくれて、後は放っておいてくれる清潔なアパートのような宿とか。
そんな宿があれば、そこが観光地ではなくても僕は行くと思います。できれば近くの駅前に、モーニングセットを出してくれる喫茶店でもあれば言うことなしです。観光地や観光業界が、こういう変化に敏感であってくれればいいのですが。
最後に貼っておきましょう。今回、美味しかったものいくつか。
今回は食の話が少なかったので、最後に。
ということで、今回も長くなりましたが、これにてお開き。
いろいろご縁があって僕は長浜に流れ着きましたが、全国にはまだまだ地味旅にふさわしい、学ぶべきことの多い、豊かな地域があるはずです。お勧めの旅先がありましたら、ぜひぜひ教えてください。
最後に、長浜城近くの公園から見た日没を貼っておきます。