広く美しい海岸と、小さく美しい鉄道駅を探訪する〜佐賀県唐津市。
いきなり個人的な話で恐縮ですが、僕の出生地は佐賀県の唐津市です。
とは言え、生まれて間もなく家族で上京してきたので、昔の街の記憶があるわけではなく、幼なじみがいるわけでもありません。それでも数年に一回、夏になると訪ねていた「おばあちゃんの家」があったので、夏休みの記憶は満載です。
これはコロナ禍に入る前の年、2019年の夏に訪ねたときのようすです。今はもう「おばあちゃん」はいませんが、こうして久しぶりに来てみると、唐津の海は相変わらず美しかった。そして意外にも、この街には美しい駅が多いことに気づきました。この後に建て替えられた駅もありますが、そんな記録です。
写真家の荒木経惟さんにとっても、思い出の厳木駅。
まず最初は山の中から。これはJR唐津線の厳木(きゅうらぎ)駅です。
写真家の荒木経惟さんが、奥さまの陽子さんとの新婚旅行でこの駅に立ち寄っており、代表的な写真集『センチメンタルな旅』の中に、この駅と給水塔が登場します。
その旅のようすは、1997年に公開された映画、『東京日和』でセンチメンタルに再現されました。荒木さん役は竹中直人さん、陽子さん役を中山美穂さんが演じ、第21回日本アカデミー賞の優秀作品賞を受賞しています。荒木さんご自身も、この駅で、車掌役として一瞬だけ出演していましたっけ。
ジャック・マイヨールも撮影をした、虹の松原駅。
路線は飛んで、JR筑肥線。この路線は博多市内から地下鉄が乗り入れ、姪の浜駅から唐津駅に至る九州北部の主要路線です。乗降客は通勤客や通学の中高生など、大都市圏の通勤電車と変わりません。とは言え、沿線の風景は美しく、駅もまた、オモムキのある駅が多いのです。
あのジャック・マイヨールが、初めてイルカに出会った場所が唐津の七ツ釜であることは知られています。その後、映画『グランブルー』がヒットした後にもたびたびプライベートで唐津を訪れており、彼の定宿だったホテルが東唐津駅と虹の松原駅の間にあります。マイヨール自身も、この駅で何枚かの記念写真を残しており、かつてはホテルに展示されていました。しかし残念ながら、ホテルの改築後は見ることができなくなったようです。
東京駅の生みの親、辰野金吾は唐津の出身。
JR筑肥線に揺られて唐津駅。この駅舎そのものはどこにでもあるような普通の駅なのですが(駅ナカの売店は、地元の食材が多くていいけどね。お土産には『つとかまぼこ』と『松浦漬』をお勧めします)、唐津は何と、あの赤煉瓦の東京駅や、日本銀行本店を設計した辰野金吾の出身地でもあるのです。
駅から歩いて5分ほどのところには、東京駅の兄弟分、辰野金吾設計による旧唐津銀行本店が残されているので、これは見に行かなくてはイカンばい。
竣工は明治45年(1912年)。一方の東京駅の竣工は大正3年(1914年)なので、こっちの方が先輩なのだ。
とは言え辰野金吾本人は、東京駅建設という国家的プロジェクトの真っ最中であったため、唐津銀行の設計は愛弟子の田中実に委ねた。竣工当時、辰野金吾は57歳、田中実は27歳。
ついでにもうひとつ。
駅の順序が前後しますが、虹の松原の次は東唐津駅。駅前のチャンポンの店、『さかもと』さんには寄らねばなるまい。ここんちのチャンポンは、九州でいちばん好きかもしれない。しかもこのお店、寿司も握るので、チャンポンと寿司のセットという、二軒ハシゴしたようなご飯をいただくことができます。夜は寿司を軽くいただいた〆にチャンポンで。ランチは、チャンポンとお稲荷さん二個のセットくらいが適量かも。
駅から離れて、少し唐津の海をご案内。
と〜にかく、唐津の海は美しいです。市内から歩いて行ける範囲に、ご覧のような砂浜が広がっています。今どき、これほど豊かな砂浜は、日本列島から減ってしまって寂しい限りですが、ここにはあります。
唐津の海は、弓を二本横に並べたような格好をしており、その真ん中に唐津城があります。この海岸線は鶴が飛ぶ姿にも似ているということで、唐津城は「舞鶴城」とも呼ばれています。そのお城から東が「東の浜」、西が「西の浜」。僕が生まれた場所は、西の浜から歩いて数分の城下町にあります。
今はもう、見ることができない駅舎。
最後に再びJR筑肥線に乗って、少し戻ります。降車駅は虹の松原からひと駅博多寄り、浜崎駅です。
快速が停まる有人駅ですが、夏休みに「おばあちゃんちに着いた!」という風情に溢れる、大好きな駅舎でした。駅前の雰囲気もまた良きなのでした、が、この頃から計画は進んでいた通り、コロナ禍の間に改築工事が行われたとのこと。
この写真を撮って以来、この駅前には行っていません。ウェブサイトで見る限り、駅の向こう側に渡るコンコースを備えた、とても大きく立派な駅に建て替えられています。
たまにしかやって来ない観光客としては、あまりとやかく言うべきではないだろうけれど、もう少し、昔の雰囲気を残してほしかったな、という印象です。駅前広場の昭和っぷりも良かったのだけど、今はどうなっているのだろう?
とは言え、あの美しい海は変わらず、そこにあり続けるはずです。
以上でした。
生まれた土地とはいえ、オトナになってから来てみると、まったくオモムキが違うものですね。何より、子どもの頃はお酒を飲まなかったので、魚介からローカルなファストフードまで、これほど美味しいものに溢れた街だとは思ってもいませんでした。これからも、唐津の海には通い続けると思います。
ただし、ひとつだけ言っておこう。唐津のセミは、やかましか!
皆さんも、今年の夏は良い旅を!