高倉健の命日に鎌倉散策 墓碑が佇む光明寺 19.11.10 11:16
11月10日は高倉健の命日だ。今年で5回目ということになるらしい。
高倉健は彼の活躍を目のあたりにした、ほぼすべての日本人男子のあこがれの的といっても過言ではないだろう。
出演した任侠映画は言うに及ばず、晩年の朴訥とした中の演技には唸るものがあったのに、死後は少しいただけない状態になっている。
先日も養女という括りになっている女性が手記を出版した。
暴露本と言うにはお粗末な内容で、週刊誌にはだいぶ叩かれてもいた。
ただ、叩かれれば叩かれるほど目につくもので、これで販売部数が増えるのなら良し悪しだ。
その養女という括りの女性により高倉健の死後5年で、世田谷の自宅は取り壊され鎌倉霊園の墓地は撤収されてと、高倉健という存在自体を消そうとして必死になっているように感じる。存在は徐々に消せても遺産は消えない。世間の目もきっと消えない。ファンの思いもなかなか消せるものではない。
そんな中、2017年に鎌倉は材木座の光明寺に高倉健の墓碑が建てられた。
高倉健は、鎌倉幕府執権北条一族の 苅田式部大夫篤時という武将の一族なのだとかで、生前は北条氏の菩提寺宝戒寺への供物を欠かさなかったそうで鎌倉とは縁が深い。なるほど、高倉健のヤクザ役の中にもどこか品がある男っぷりは、もともと武家の出だったということなのか。
墓碑を建てたのは養女という括りになっている女性ではなく、親族でチーム高倉側の人たち。
集える場所ができたことはファンにとってはありがたい。
墓ではなくモニュメント的なものというのが言い分なのだが、トラブルの火種はくすぶり続けるのだろうか?
そもそも、光明寺は関東浄土宗の大本山。江戸時代にはだいぶ栄えたらしく今は巨大な山門がランドマークの海に近い風光明媚なお寺である。もっとも、自慢の山門は台風の影響なのか工事中だったが。
先月には恒例の十夜法要が執り行われていた。法要の夜に巨大な山門の前に並ぶ屋台の列はなんとも言えない日本の原風景のような気がする。残念ながら今年はこの時期の参拝ができなかったというのも、今日訪れている理由でもある。
何を隠そう私自身も浄土宗の宗徒ということになっているので。
巨大な山門、巨大な本堂。
石庭、庭園。
境内はさすが大本山なのだが、鎌倉駅から少し距離があり、観光ルートから外れた住宅街の中の寺院なので、今日も参拝の人は数えるほどしかいない。
高倉健の命日であることもどれほどの人が意識しているのだろうか?
墓碑を見つけた人は一応手を合わせているみたいだが。
そうそう、偶然なのか必然なのか、森繁久彌と森光子も11月10日が命日らしい。
似ても似つかない三人になんの偶然だろうか?
引き寄せるものでも合ったのか?
俳優なんて言う商売は順番にその次代をともに生きた人が亡くなるとともに忘れられていくものなのだろう。やがて話題にすら登らないようになる。
華やかに見えても影があるものだよな。
光明寺の裏を登ると材木座の海岸を望むことができる展望台がある。そこから海を見ていると世間のゴタゴタなんてどうでも良くなる。
永遠に残る功績なんて結局ありえない。そういうものだ。
でも、どちらがどうとかあちらがどうとかではなく、晩節を汚すようなことはしてほしくないよなぁ。と、いちファンとして思うのだが・・・。