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【岐阜県大垣市】秋の行楽、美濃散歩二日目 大垣の水路に迷う 22.10.31
秋の行楽、美濃散歩。二日目。
今日は一日大垣を徒歩で巡るつもり。
大垣は自称、日本のど真ん中の市。
"ど"までつけて真ん中を主張する割にその意味がよくわからないけど、まぁ、地図を見ればざっくりそんな感じなんだろうな。
でも、大垣ってものすごい飛び地の市で、市が真っ二つに分断されていて、その間に垂井町やら養老町がはまり込んでいる。
ど真ん中分断の市なのだ。
経済的にも、地政学的にも、真ん中もっこりって感じではない。
歴史的には、木下藤吉郎が墨俣一夜城を築いたり、関ヶ原の戦いのときには石田三成はじめ西軍がこもったり。
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江戸時代には中山道の赤坂宿、美濃路の大垣宿、墨俣宿も整備され、今と違い交通の要所だったんだろうなと言うことは想像できる。
松尾芭蕉が奥の細道の結びの地に選んだところでもある。
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人口も15万人を超えそこそこな街。
そんなところに伊吹山系からの湧き水があふれ、国土交通省の水の街百選に選ばれてもいる。
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なので街中を水路がめぐり、お城を中心にぐるりと歩いて回るには楽しい作りになっている。
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江戸時代には、何って手柄があったとは思えない戸田氏の10万石の大垣藩の城下町。譜代の大名にしては格別な扱い。
平城なれど、水路を利用しての妨害撃退システムのハズが、江戸時代以降は日和見で結局幕末にも新政府へと寝返って、戦いになることはなかった。
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それでも古い城下町。お城を巡る街に商業の町、町人の町、寺社の町とそれぞれに特徴がある。
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古い感じの街の雰囲気は伝わるが新しい感じは全然しない(笑)
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空気と時間が、いいところ、昭和の中頃で止まっている感じ。
たしかに最近ニュースでも大垣なんていう単語を聞く機会はほぼない。
生活するには刺激少なめだけど、平和な街なんだろうな。