写真展ついでに両国散策 19.07.31 14:31
両国で川島小鳥の写真展があるというのでやってきました。
品川キャノンGALLERYでの同時展示。川島小鳥大人気ですね。
しかし、品川キャノンでのトークショーは彼らしいグダグダぶりだった。そして、両国での展示は彼らしいカオスぶり。
どちらも常人が及ぶ範囲にあらずかな(笑)
というわけで両国散策。
両国といえば相撲の街ということになるのだろう。
ただ、ある年齢までは相撲といえば蔵前でもある。ちなみに自分もそのエイジ。
武蔵と下総の国境であった両国はもともと隅田川の西側にあったそうだ。
徳川幕府の安定した政治により江戸の街は人で溢れ東へ東へと拡張を始める。
下総であった隅田川の東岸を武蔵に併合して江戸は拡張し、それに伴い両国の呼び名は隅田川を渡って東岸へと移る。
意地悪オヤジの吉良上野介が日本橋から本所松坂町へと移動させられたのもこの頃。気の短い若い殿様の癇癪により将来を閉ざされた浪人による討ち入りがあり一躍有名に。
相撲は蔵前と書いたが蔵前の以前の国技館は回向院の境内にあった。
敗戦により米軍に接収され、国技館は蔵前に移転し、再び両国に戻るのが昭和60年の初場所。
北の海が両国までの現役にこだわり負け続けたもやめずにいたのが記憶に新しい。
両国は相撲の街一色なのかと思うとそれは駅前と国技館の周りのみ。江戸東京博物館の異様な建物も目を引くがそれ以上に北斎も暮らした歴史の街。
陸軍被服廠であった横網町公園では関東大震災の時に避難していた住民四万人近くが火災で亡くなるという大被害を出す。震災全体で10万人と言われる犠牲者の半数近くがここで亡くなっている。空襲の被害者も含めた巨大な慰安堂が悲しい歴史を物語る。
娯楽だけではない両国の一面。
横網町公園の斜向いにある旧安田庭園も両国の顔。財閥邸宅も空襲で壊滅。後に東京市により修復し現在に至る。
結局、猛暑の中短い時間だったけれどもウロウロしたのは、総武線の北側のエリア。
相撲の聖地国技館がある側のほうが、あまり相撲相撲していない。
国技館がない総武線の南側、吉良邸とかある方が相撲部屋などもいくつかあり、ちゃんこ屋も多く、回向院もありと相撲的な印象。
駅の北側は蔵前から国技館が移転する前は貨物駅だった場所だから、急に国技館がやってきました。さぁ、相撲ですとはならないのだろう。
街もすでに出来上がっていて、今更相撲部屋をつくるってことも行かなそうだ。そうなるとなんだか両国という街が不思議に見えてくる。
相撲でもっていることは間違いないのだろうけれども。