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【長野県塩尻市】長野の休日、木曽散歩その9 贄川の宿場 22.09.11_08:50

 出張の休日、木曽路散歩の二日目は贄川の宿場から。

 贄川は十一宿ある木曽路の江戸側の始まり。
 中山道も上州や軽井沢辺りの山道を越えてきているからそこそこ覚悟はあるだろうが、木曽路はすべて山の中だ。
 諏訪や塩尻で癒やした体に再びムチを打つ。そんな宿場だったはず。

 豊臣秀吉が木曽を直轄領として番所を置いたことでも知られる贄川。
 江戸時代はここが尾張藩と松本藩を分ける境だった。



 現代の宿場の最寄り駅は贄川駅。

 中央本線らしい味のある無人駅から贄川宿散策は始まる。
 贄川宿は中山道33番めの宿場だ。

 宿場散策で最初に出くわすのは秀吉の番所から始まり、江戸時代は福島関所の副番所だった贄川の関所。
 江戸に対して上方から攻めてくる相手には木曽路のしんがり。この谷で殲滅しようという重要さが伺える。

 やはり、入鉄砲と出女には厳しかったらしく、資料館では取締のエピソードなどが展示されていた。

 贄川の宿場自体は昭和5年の大火で古い町並みの大部分は消失してしまったそうだ。
 関所も昭和51年の再建だからまだまだ新しい。

 宿場の中に深澤家住宅というものが、火事を免れたのか重要文化財の指定を受けて建っているが、残念ながら非公開。

 宿場には江戸時代の昔の建物みたいなものはなくなってしまってはいるが、火災後の昭和の頃の街の雰囲気はよく残っている。

 商業的な部分は一切ないので、木曽の庶民の暮らしを垣間見られるのはありがたい。

 宿場の外れに大きなトチノキががあり、今も昔もこれがランドマークだったんだろうと想像がつく。

 江戸の旅人はこのトチノキを見上げてこれから挑むのか、やっと越えてきた木曽路の苦労を思ったりしたことだろう。

 この季節、トチノキの大きな実が風が吹くたびに落ちてきて、巨木の根元にたどり着くまで、いや、たどり着いてからも命がけだったことは黙っておこう。直撃を食らったら怪我では済まないはず。

 観光主義にならないこんな感じの昔の宿場町って、いいんだよなぁ。
 




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