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【東京都中央区】浮世絵を歩く 名所江戸百景第46景「鎧の渡し小網町」 兜町辺りを歩く 24.05.25_13:00
江戸百景「鎧の渡し小網町」の鎧の渡しは、現在の日本橋川鎧橋付近にあった渡船場のこと。
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渡船場が鎧の渡しと呼ばれていたのは、源義家が奥州攻めの際暴風雨に襲われ、その時鎧を川に投げ入れ竜神に祈ると橋を渡ることが出来たという伝説にちなみ、それ言えここがが鎧の淵と言われるようになったことにちなむとか。
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どうして兜ではなく鎧だったのだろう?街は兜町だ。なんだか話が合わない。
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義家の時代ここには橋がかかっていたのか?じゃ、江戸時代より便利だったんじゃないのか?江戸幕府が始まるまでは、東京の海岸線は入江であり湿地帯だ。橋とかそういう価値観ではなかったのだろう。
江戸時代は、鎧橋も茅場橋もなかったわけで、結構不便だったのじゃないのか?。
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GOでタクシー呼ぶってことも出来なかっただろうし。
広重は、日本橋川沿いにのっぺりとした白壁の蔵が立ち並ぶ様子を描いている。
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そんな川を渡船と荷舟が行き来している。
今では、証券取引所と証券会社が立ち並ぶ株の街だ。
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兜町と鎧の渡し。なんだかやっぱり理屈が合わない。
あ、証券取引所って京丹後田辺藩牧野殿のお屋敷だったのか。
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浮世絵の女性は着物で渡船に乗り込むのか。
なんだか窮屈そうだなぁ。でも、これが江戸時代の日常なんだろうな。
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