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【東京都台東区】四万六千日分のご利益を 奥浅草散歩 22.07.10_12:15

 ちょうど浅草寺の裏手、日本堤や清川、東浅草と呼ばれるあたりに千束を加えたあたりを最近奥浅草と呼ぶらしい。

 奥横浜、奥渋谷同様、つまりは駅から遠くて、ランドマーク的なスポットの奥に存在するからそういう呼び名をつけたいらしい。

 でも、そこって、遊郭連ねた吉原であり3大ドヤ街の一つ山谷じゃないのか?


 今だにろくに最寄りの駅もないような土地柄。

 奥浅草よりも裏浅草と読んだほうがピッタリとくるんだけど。

 小洒落た雰囲気を演出したいのに頼るのはあしたのジョーだったりするちぐはぐさ。

 どこまでホンキなんだろう?

 今戸神社では沖田総司が亡くなったり、本龍院(待乳山聖天)の蕎麦では池波正太郎が生まれていたりと、それなりの歴史があるけど、やっぱり昭和の人間にとっては山谷だよなぁ。

 ホンキでドヤ街を利用する人たちは北へ北へと追いやられ、地図からも山谷なんていう地名は消えた。

 千住あたりの再開発も行われている。日雇いの人たちはどこへ行けばいいのだろう?


 暗い歴史を知らない外国人や若い日本の旅行者がドヤの施設を使ったりと時代は変わっている。

 その分昔ながらの日雇いの人たちの居場所がなくなって・・・今日だって全くその種の人の姿を見なかった。居なくなったっていう話は聞かないのに。

 高度経済成長のとき、東京を造った最下層の人たちはも、高齢でもうすぐいなくなるのかもしれない。

 行政はその時をまだかまだかと待っているのだろう。

 山谷が人の記憶からなくなるときが近づいている気がする。



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