【東京都江東区】小津安二郎生誕120年ということで門前仲町あたりを散歩 永代寺と深川不動 23.10.07_13:50
最近こそ、門仲なんて小洒落た呼ばれ方をしている。
が、門前仲町は何の門前かというと、富岡八幡の別当寺、永代寺の門前であることからの命名。
今でこそ成田山東京別院の塔頭のようにその参道に建っているが、昔は深川一帯でも屈指の大寺院だったそう。
明治の神仏分離で永代寺は廃寺。深川公園へとなってしまった。
そう言われると、境内は広大だ。
穿った見方かもしれないけれど、坊主より神主のほうが仕事は楽そうだ。
Wで管理していて、どちらかをやめなければならないとするのなら、やっぱり寺の方だろう。
蘇我氏と聖徳太子の頃から続く仏教を薩長土肥と朝廷の明治政府は否定した。
政治で天地をひっくり返した連中が宗教までもそうしようとする。
分からなくもない訳では無いが、なんだかちょっと嫌な感じだ。
発表した明治の頃はどんな雰囲気だったんだろう?想像することすらできないけれど。
結構地域差があったという話もあるけれど。
そんな永代寺が返却した土地は深川公園となり、そして、成田山の別院が建つことに。
なんだか、その経緯が今ひとつ納得行かないんだけれど。
今日はなにかの行事が行われていて人でごった返し。
あまり良く見ることができなかったが、平将門を愛する関東の人間にとってはどっちでもいいか。
成田山は歌舞伎の市川瀬戸縁が深い。
團十郎の演目がバズり不動明王が江戸で人気に。
というわけで出張開帳を行うことになったのだが、その会場た永代寺だった。
その不動明王は関東独立平将門追討の仏だというのに。
成田山は明治で廃寺になった永代寺の深川公園の一部を東京都から永久かつ無償で借用することが認められて別院を建てる。
なんと羨ましい。オイラにも渋谷か赤坂あたりに永久無償で土地を貸してくれないだろうか。
それが明治11年のこと。うまいことやったねとしか言いようがない。
永代寺は、元塔頭であった吉祥院が明治29年に再興し名籍を継いだ。だから、成田山の塔頭のような位置関係になっている。
その深川不動への参道は人情深川ご利益通りと呼ばれている。
刃傷沙汰の八幡よりはご利益がありそうだ。
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