ギャラリーオーナーの本棚 #7 生命のたった一つの願い 『息吹』
今までほとんどSFを読まなかった・・・と思ったけど、20代によく読んだ村上春樹はSF的なものが多いですね。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は村上作品の中で私のベスト1かな。最近読んだカズオ・イシグロの『クララとお日さま』もSF小説ですね。
とは言え、私のSF読書歴はとても薄くて、ジョージ・オーウェルの『1984』とか、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』とかは有名なので、いつか読もうと思ってリストには入っていたのですが、未だ読んでおりません。SF好きの方がこの記事を読んでも全然満足できないと思います。ごめんなさい。ということを先におことわりしておきます(笑)。
世界の終わりに気付いた科学者
テッド・チャンの『息吹』(早川書房)を読んだきっかけは、私の運営する Gallery Pictorで、アート作品と書籍で構成する Arts & Library Show《awareness》を開催することになり、人間の意識についての本を集めていて、たまたま見つけました。
短編集になっていて、表題作の『息吹』を含む9つの短編が収録されています。SFに慣れていなくても短時間で読むことができ、それでいて、短いストーリーの中に深遠な問いが仕込まれています。
『息吹』の物語の設定は、ヒト(ヒューマノイド、とここでは仮定しておきます。アンドロイドかも。)が空気をエネルギーとして装填して生きている、どこかの惑星のいつかの時代です。
主人公は科学者で、自分たちの世界全体で、生命源とも言える空気の量ー気圧が変化しており、そのために脳の処理速度が低下しているのではないかと気づきます。そうだとしたら、自分たちの世界はこのままじわじわと死へ向かっているのかもしれない・・・。科学者は、生き残りの道を賭けて、自分で自分の脳を解剖することを決断します。
手術中、科学者は自らの脳を覗き見ながら、ここで自分の生命は終わるかもしれないという極限状態の中で、ヒト一人ひとりの存在は何なのかという問いの中に、ある種の「悟り」のようなものを得ます。
わたしという存在は、空気が作り出す一時的なパターンに過ぎない。
「無我」そして偶然性。テッド・チャンが「空」の思想に着想を得たのかどうかは分かりませんが、それを感じさせる描写でした。
死の淵に立った時、生命が願うこと
科学者は死の淵で、自分たちの世界がなくなってしまった後、どこかに存在する別の世界が自分たちを見つけてくれるかもしれないということに望みをかけます。そして見つけてくれた誰かに語りかけます。
しかし、どこかに存在する別の世界においても、同じように命が永遠のものではないことに科学者は気付いています。
そうだとしても・・・科学者の最後の語りかけは圧巻です。引用はしませんのでぜひ読んで下さい。自分自身が、一つの「パターン」として今生きていることに、宇宙的な感動を覚えるかもしれません。
わずか30ページの短編に、テッド・チャンは「意識」とは何か、「生命」とは何かという哲学的な問いを巡って、輪廻や空などの仏教思想と、熱力学の第二法則(エントロピーの法則)のような物理法則を取り入れて、科学者という一個の生命から宇宙を感じさせる物語を紡ぎ出しました。
空気をエネルギーとして装填して生きるヒューマノイドという設定は突飛ではありますが、この物語から感じるのは、「生命は次世代をつなごうとする」というシンプルな理(ことわり)です。
主人公を始めとしてこの世界のヒトたちは、金属の部品から出来ていて「生身」ではないかもしれません。しかし意識を持っていて、空気を充填する「給気所」がカフェのような語らいの場所になっていたり、「人間的」であることが描写されています。そんなヒューマノイドでも、自らの生命の終わりを感じた時に思うことは、
どうかまた、次の命へとつながってくれますように
このたった一つの願いです。そう願うことこそが生命の証だーーこの物語のメッセージはこれに尽きると、私には思えてなりません。
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