千代田線の根津駅から東京大学の弥生キャンパスへ向かう坂を上がって行くと、ちょうど農学部の敷地が始まる辺りに「緑の本棚」という古本屋さんがある。店先には多肉植物をはじめとした小さな鉢植えがいっぱい並んでいて、表から見ると雑貨屋さんのような、カフェのような、何のお店なのかよく分からない。 ギャラリーを開業する前、まだ会社に勤めながら私は東京大学大学院情報学環・情報学府内で行われているアートと社会学の講座を受講していて、週に何度かこの弥生坂を通っていた。仕事を終えてから講座を受け
春の兆しを感じ始めた2月のある日曜日。 私が運営するGallery Pictorのある由比ガ浜通りを、長谷に向かってまっすぐ歩いて10分ほどで行ける本屋さん「Books & Gallery 海と本」さんを訪れた。屋号の通り、海にまつわる本が並ぶなかで、私の目を引いたのがこの表紙だった。 装画は津上みゆきさん。 現代アート作家で、2019年に神奈川県立近代美術館 葉山館で、「みえるもののむこう」というグループ展に出品されていた。 出版社はギャラリーと同じ由比ガ浜通りにある「港
些細なルール違反を恐れない「アナキスト柔軟体操」 アナキズム(英: Anarchism)。 語源はギリシャ語で「支配者」を意味する αρχή(archi)に「〜が無い」を意味する接頭辞の ἀν-(an-)が付いて「支配者がいない」という意味。そこから転じて国家・政府に従わないこと(=反国家主義)、また国家に限らずあらゆる権力に従わないことを意味する。 ネットで調べるとそういうようなことが書いてあります。日本も戦後しばらくは、社会的・経済的に動乱期で、そういう動きもあったの
この本は2022年10月15日から11月3日までGallery Pictorで個展を開催したアーティスト・小野久留美さんが教えてくれたものです。 小野さんは、写真を土に埋めるというめずらしい手法で作品を制作しています。写真は一般的な上質紙のような紙に染料インクで印刷しているため、土に埋めた写真はインクが滲み、色合いも変化し、紙は水分を吸って波打ち、時には破れていることもあります。 彼女がこのような制作手法に辿り着いたのは、物事はすべて変化していくものであるということと、そ
これは岩波文庫版の『パイドン』の出だしです。場面設定が簡潔で分かりやすいのでこちらを引用しましたが、画像に使っているのは光文社古典新訳文庫版。 本書は、この導入部にあるようにソクラテスが死罪を言い渡されて刑が執行されるまでの間に弟子たちと交わした対話を、パイドンから伝え聞いたという形式で一番弟子であったプラトンが記述したものです。 ソクラテスは死を恐れていませんでした。なぜなら肉体が死んでも魂は不滅であると信じていたからです。むしろ、肉体を離れてこそ純粋に物事を見ることが
自立していないことは、豊かなこと この本は、Gallery Pictor 2022年プログラムに参加してくれている彫刻家の石川直也さんが、プログラムのメインテーマ《中心はどこにでもあり、多数ある》や自身の制作テーマに関連のある書籍として選んでくれたものです。 石川さんには2021年に初めてギャラリーのグループ展に参加していただき、その時に出品してくれた《自立しない人》というシリーズで、今年のプログラムでは個展を開催していただくことになりました。 《自立しない人》は言葉だ
人が植物の "生き方" に学ぼうとする異色の哲学書。著者のエマヌエーレ・コッチャは農学を学んだ後に哲学に転向した人なので、なるほどという感じなのですが、これを読むと「植物って本当にすごいよな」という畏怖の念が改めて沸いてきます。 本書でのコッチャさんの主張をものすごく簡単に要約すると、「植物ほど世界と密接に関わり、世界に溶け込む能力を持っている生命体はない」ということなのです。しかし、たいていの哲学書がそうであるように、もって回った言い方は少々難があります。たとえば・・・
私は大学生の頃に、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読み始めて途中で挫折していた。読んだきっかけははっきりと思い出せないけれど、大学で環境学を学んでいたので、農薬のDDTによる生態系破壊を訴え、その後の環境保護のムーブメントに影響を与えたその本は推薦図書のようになっていたんだと思う。 だから私にとってはレイチェル・カーソンは厳しい科学者のイメージだった。当時私が手にした本の著者紹介のポートレート写真も、厳格な女性教師といった感じだったように記憶している。『沈黙の春』ではな
前回の記事に書いたインドの聖人ラマナ・マハルシのことを考えていて、ふと思い出したのが、江戸時代後期の僧・良寛です。 良寛といえば書や詩歌を思い浮かべる方も多いと思います。俗世間を離れて破庵に暮らし、菩薩のように穏やかに風流な人生を送った人という印象かもしれません。私もなんとなくそんなイメージでした。しかしこの本を読んで、その印象を改めることになりました。良寛はむしろ反骨心の強いアウトサイダーだったのだと。 反逆児の目覚め 良寛は、1758年、越後国出雲崎(現在の新潟県出
この本は5月14日からGallery Pictorで個展《New Landscapae》を開催するアーティスト・武田哲さんが、ギャラリーの年間プログラム《中心はどこにでもあり、多数ある》のために選んでくれたものです。 たぶん哲さんの作品とこの本は容易に結びつかないだろうと思います。哲さんの作品は一見するとグラフィティ・アートのような、主義主張を自由に発露したような印象を受けがちです(一般論として)。一方、シュリ・ラマナ(シュリは「聖なる」の意味)の教えは自我を解き放つことに
私の前に存在していた誰かの声 私には20代の頃、何度も何度も読んだ文章があります。誰でもそういうものが––好きな小説、好きなエッセイ、好きな詩、あるいは好きな歌詞などが––あるものですよね。自分では言語化できない感情を、その文章が代弁してくれている、と感じることがその文章に感情移入するよくある理由、というか自分で認識しがちな理由だと思うのですが、そういう場合は大抵、似たような経験を重ねあわせることが多いと思います。 しかし、自分が体験していないことについて書かれた文章を読ん
今までほとんどSFを読まなかった・・・と思ったけど、20代によく読んだ村上春樹はSF的なものが多いですね。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は村上作品の中で私のベスト1かな。最近読んだカズオ・イシグロの『クララとお日さま』もSF小説ですね。 とは言え、私のSF読書歴はとても薄くて、ジョージ・オーウェルの『1984』とか、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』とかは有名なので、いつか読もうと思ってリストには入っていたのですが、未だ読んでおりません。SF好きの方がこの
生きものたちの季節の計りかた この本は、昨年ギャラリーで初めてArts & Library Show(アート作品と一緒にそのアーティストが選んだ書籍も展示する展覧会)を行なった時に、ご来場されたお客様から教えていただいたもの。(『春の数えかた』日高敏隆 著 / 新潮文庫) 表題の「春の数えかた」とは、生きものたちがどうやって「春がきた」ことを認識しているのか、その方法について考察した本書所収の一章からとったもの。(本書はエッセイで、一章一章は特につながりを気にせず読むこと
偶然の重なりから出会った一冊 『アルケミスト』は、一介の羊飼いの少年が、宝物とピラミッドを目指して旅を続けるうち、様々な人との出会いや経験を通して成長し、たくましくなり、偉大な力を手に入れるまでを描いた冒険物語。ブラジルの作家パウロ・コエーリョの人気作です。(訳書は角川書店より出版) あるアーティストをインスタグラムでフォローしていたら、その人の描くキャラクターがこの本を読んでいるという設定があって、興味が沸いたのですが、その後間もなく友人から、この本で読書会をやるから参
エレガントな物理学書 こむずかしい量子物理学の書籍としては異例のヒットを飛ばすイタリアの物理学者・カルロ・ロヴェッリ。 ヒットの理由は単に「分かりやすさ」ではないようです。本書も、その前作の『時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ著 / NHK出版)も、やっぱり概念的に理解できないところはあります。それは量子の世界があまりにも、私たちの学んできた古典物理の枠組みとかけ離れているから仕方がない(ちなみに私は古典物理でさえ、大学時代の授業で追試を受けさせられて、さらに教授の情
重なり合うもろもろの世界 2回続けてマルクス・ガブリエルを紹介しますが、特段、彼を熱心に信奉しているわけではありません。たまにすごくホットなトピックでインタビューに答えているときに、ちょっとウケ狙いし過ぎだなと思うこともあります。しかしながら、前回の記事にも書いたように、彼の世界の見方は「まっとう」で、自己陶酔的にならずに、現代社会における哲学者の使命を果たそうとしているように思います。 前回の記事でご紹介した『「私」は脳ではない』の前作で、マルクス・ガブリエルを一躍有名