赤ちゃん語マイスター
「どうして赤ちゃんの言葉がわかるの?」
我が家の年長さんが唐突に、本当に前後の脈絡もなく尋ねるので、私は結構面食らった。夕飯の後、夏休みのちょっとした課題である「お手伝い」のために、洗濯物を畳みながらの一言だった。
「赤ちゃんの言葉がわかる」と思ったことが自分では一度もなかったので、聞き間違いかと思って念のため、「なんて?」と聞き返したが、年長さんは同じ言葉を繰り返した。
「なんでお母さんは赤ちゃんの言葉がわかるの?」と。
赤ちゃんの言葉、とはなんだろう。
まだ10ヶ月にもならない下の子は、近頃しきりに「あー」とか「うー」とか「まんまんまんまん……」といった喃語を繰り出していて、時折それをおうむ返しにしてやると「えへへへへぇ」とニコニコして大変可愛らしい。しかしこれは、親にとっては「なんかおしゃべりしててかわいいねえ」というだけのもので、(本人がどう思っているかはわからないけれど)意味を持った会話などでは決してない。しかし年長さんにはもしかして、親が赤ちゃん語を介して会話しているように見えているのだろうか。
そこまで考えてみて、ふと思いついた。
「もしかして、お腹が空いてる、とか、眠たい、とか、そういうのがどうしてわかるのか、ってこと?」
私がそう聞くと、年長さんは「そう」と頷いた。
なるほど、確かに、私は赤ちゃんが泣いた時、上の子に「眠たいみたい」とか、「離れると寂しくて泣いちゃうんだよね」とか伝えたりする。ちょうどこの時も、泣いている赤ちゃんを抱っこして、「お腹が空いてるみたいだから、お母さんは授乳するね」と言ったばかりだった。それが年長さんの頭の中では「赤ちゃんの言葉を理解している」という風に見えているらしい。
でも実際のところ、赤ちゃんの言葉ーーというか、訴えているものを、100%理解しているかと言えば、自信を持ってNOだと言える。授乳や食事から時間が経っていれば「お腹が空いているのかな」と考え、授乳後なのに激しく泣いているなら「眠くて機嫌が悪いのかな」と推察する。抱っこで落ち着く時もあれば、ほったらかしの方がいい時もあって、その時々でどっちなのかは試してみないとわからない。
明らかに泣き方で「これは」と思う時もあるけれど、大抵の場合、ひとつひとつ赤ちゃんが不快に感じる要因を取り除いて、泣いている原因を推理して対処しているにすぎず、年長さんが「どうして言葉がわかるの?」と澄んだ瞳を向けてくるほどにはわかってなんていないのだ。
でも、そうだなあ。もし、私が赤ちゃんの要求を少しでも察知することができているのだとしたら。
それは6年間、鍛えてくれた存在があったからに他ならないだろう。
お腹が空いては泣き、眠くて泣き、寂しくて泣き、話しかけると笑って、歌ったら喜んで。そうした喜怒哀楽を、「泣く」くらいしか伝える方法がない頃から必死に伝え続けて、私に6年分の経験値を積み重ねてくれたのは、他ならぬ上の子なのだ。
だから、「赤ちゃんの言葉がわかるように見えるのなら、それはあなたのおかげかもね」と、そんなようなことを伝えようとしたが、年長さんは目の前の洗濯物を畳んで積み上げることに一生懸命で、あんまり聞いていないようだった。この年頃の子にあるあるの「なんで」「どうして」は、移り気が過ぎて親はいつも置いてけぼりになる。
お腹が空いた時も、眠い時も、痛い時も悲しい時も、全部泣いてお知らせしてくれた赤ちゃんが、6年でたくさんの語彙を身につけて、大人みたいな言い回しを駆使して達者におしゃべりするようになった。
けれど、じゃあ上の子のことならなんでも理解できているかといったら、やっぱり答えはNOだと思う。
状況や気持ちを正確に表せていないことだってあるし、怒ってトゲトゲした言葉をぶつけてくる時、心の中ではもしかしたら「寂しい」と泣いているのかもしれない。泣くしかない赤ちゃんより感情も要求も複雑で、その気持ちをすべて読み取るのは難しい。言い回しや態度にカチンときて、強く叱責してしまうことも、多々ある。
きっと、子どもの気持ちへの理解は及第点から程遠いんだろうな、と自省して、明日こそは、もっと顔を見て、耳をすませてみようと思う。
赤ちゃんを相手にするみたいに、「どうしたの」と抱きしめて。