てんびん座新月のタイミングで、なりたい自分像を書き出してみた
今日、2020年10月17日はてんびん座新月。
一般的には、新月のタイミングで何か新しいことにチャレンジし始めたり、自分が「こうありたい」と考える姿や意図する物事の運ばれ方に意識を向け、次の満月までにそれらをアクションに移すと良いとされていますよね。
というわけで私も、毎月訪れる新月のタイミングで、普段からジャーナリングで使っているノートにだだだ~っとあれこれ書き出しております。
ホロスコープなどに詳しい方はすでにご存じかと思いますが、毎月巡ってくる新月や満月も、その位置やほかの天体の位置との兼ね合いによってそれぞれ違ったエネルギーや意味合いを持つのだとか。
その中でも今回のてんびん座新月は、特に「なりたい自分像」や「出会い・ご縁」という部分に強くエネルギーを当てられる新月なのだそうです。
そこで、今日は朝のジャーナリングのタイミングで、私自身がなりたいと感じる姿を改めて書き出してみました。
1.背筋ピンッ!物腰柔らか
いつも姿勢の良い人って、なんだかそれだけで魅力的に見えます。
姿勢よく、常に前を向いて堂々としているけれど、なぜだか不思議と威圧感を感じさせない。そんな雰囲気をまとった方には昔からあこがれを抱いてきました。
一方、日中のリモートワークでパソコンと向き合う時間が長いためか、気づけば背中が丸まっていたり、それにより呼吸が浅くなってしまったり…ということがまだまだ日常茶飯事な私。そのため最近は、外を歩く時だけでも意識して姿勢をまっすぐに正すようにしています。
そして大事なのが、物腰の柔らかさ。丁寧で物腰が柔らかい方と接すると、こちらまで胸の奥がじんわりと温かくなるような感じを受けます。そしてたった今自分が受けた優しい気持ちを、思わずほかの人へと循環させたくなります。
常に学びの姿勢を大切に、謙虚であること。かといってへりくだるような真似はせず、そのまっすぐに伸びた姿勢からはどこかその人自身の持つ芯の強さや自信を感じられる。そんな姿を手に入れられるよう、人に見られていない時でも自分の行動、姿勢を「しゃん」と改めます。
2.発言の在り方を心得ている
私が大切にしているペルシャ人の詩人、Rumiによる言葉があります。
"Before you speak, let your words pass through three gates:
Is it true?
Is it necessary?
Is it kind?"
- Rumi
発言する前に、あなたの言葉を三つのゲートに通過させてください:
それは真実ですか?
それは口に出す必要のあることですか?
それはやさしさですか?
言葉は、それを発する人が丁寧に、よく考えて扱うことで、人を励ましたり、温かい気持ちにさせてくれたりします。その一方で、「言葉はナイフ」という表現もあるくらい、一歩使い方を間違えると人を傷つけてしまったり、場合によってはその一言が誰かにトラウマを植え付けてしまうこともあります。
私が日ごろから会話よりこういった書き言葉を好んで使うのも、書いている途中に一度冷静になったり、読み直したときに自分の意図と実際の発言に相違がないか、といったことを確認できる側面が大きいです。一度書いてみてから整理すると、このあたりのことが視覚化されてわかりやすいですよね。
しかし、現実世界ではすべての発言を書き言葉で表すことはできませんし、人がある程度その人の話し方や発言から、その人との今後の関係を判断している部分は否めません。そんな中で、私自身まだまだ課題だと感じているのが日常会話での話し方。ビジネスのシーンではある程度シナリオを想定して話しますが、普段の会話ではついつい頭の中の整理をする前に話し始めてしまうという癖が抜けきれないところがあります。
そこで改めて、今後はより一層一言の重さ、発言のタイミング、そして相手に伝わりやすい会話を念頭に置いて行動しようと決心しました。最後の「相手に伝わりやすい」というのは特に重要で、自分ではわかって話しているつもりでも、相手が自分の発言のポイントを理解していないという場面は意外と多いからです。私は英語の会話だとよく、会話の最後に"Does it/that make sense (言ったこと、なんとなく伝わったかな?腑に落ちたかな)?"と相手に確認しているのですが、これを日本語の会話に応用してみるのもいいかもしれません。難しい会話の形式をあれこれ考えると話しずらくなってしまう部分もありますし、最後に相手と認識のすり合わせをする、くらいのテンションで始めてみれば嫌味なくポイントを伝えられそうな気がしてきました。
3.自分という人間を丸ごと受け入れることが出来る
未熟な部分も含め、今目の前に見えている自分が、今までの人生で培ってきた自分です。完璧な人間はいないと頭ではわかっていても、普段からついつい自分にダメ出しをしてしまったり、自分の弱みに目が向いてしまうこともまだまだあるのが現実。一方で、そうなったときの気持ちの切り替えは少しずつ早くなってきました。
「またやっちゃった」→「今日で学んだ。次は失敗するとしても、きっともっとバージョンアップした失敗!」
「○○さんはこうなのに、自分は…」→「他人と同じ土俵でいつも戦う必要はない。自分には自分の魅力がある」
こんな風に、少しずつ自分を受け入れる訓練を繰り返してきたことで、少なくともいまの自分を冷静に見つめられるようになってきました。人間というのは不思議なもので、一度自分の今の姿を「うん、これが今の自分だ」と受け入れてしまうと、不思議とそこからあれこれ感情的にジャッジする気が起きなくなってしまうんですよね。代わりに、そこから「じゃあどうする?」と冷静にプランを立てられるので、この「丸ごと受け入れる」は今後も引き続き継続していきたいと思っています。
自分で今の自分を受け入れてしまうと強いです。「いま」の状態と、「未来にどうなりたいか」を心の奥底で理解できているので、他人にあれこれ言われようとも揺らぎません。「ご指摘ありがとう。今、亀の歩みで改善中なの!」と、軽やかになりたい自分像へ向かって邁進していけそうです。
4.自分の情熱、興味関心分野を知っている
自分の情熱や興味関心分野は、何歳になっても大切にしていきたいことの一つです。パッションがあると、人は突き動かされます。少し大げさですが、ときにはそれが「生きてる!」と実感できることにも繋がります。
もともと突き詰めて学ぶことや考えることが好きで、自分の興味関心分野に関してはいくら本を読んでもリサーチをしても、人と語らい合っても飽きないくらいのめりこんでしまう性格の私。ところが、社会人になって働き始めてからというもの、いつのまにか仕事の忙しさにかまけて自分の情熱を後回しにする癖がついてしまいました。
そんな自分に「待った!」をかけるつもりで始めたことの一つが、このnoteでもあります。書くことは自分の情熱の一つ。でもでも、正直もっともっと追及したい分野もある!ついこの間も料理をしながら自分の興味関心分野を振り返っていたのですが、出てくる出てくる…その場で料理の手を止めて書き出したいくらいでした。笑
自分が学びたいと思ってなぜかあきらめてしまったこと、中途半端になってしまっているあれこれ、一つの興味から派生して出てきた新たな興味関心分野…少なくともこれらを知っているだけで、私は何倍もイキイキできる性質のため、今後はこれら一つひとつを形にしていくのが課題です。
5.「すでに持っていること」への感謝を忘れない
人というのは、「すでに自分が手にしているもの」よりも「まだ手に入っていないもの」に対してついつい焦点を向けがちです。気づけば、すでに身の回りにある機会や人間関係、もっと言えば今自分がこの地球上で(不自由なく)暮らせているということ、といった自分の恵まれた部分はすっかり置き去りにして、グチを言ったり、「もっともっと」と欲深くなってしまう。
私は、特にこのコロナ禍になってから自分のこうした側面に気付き、深く反省しました。私は今、幸いにもこの時期に転職を果たし、自分を含めた身の回りの人の健康状態も概ね良好。友達や家族とコミュニケーションもとれるし、食べるものや住む場所も自分で確保できる状況にあります。私の身の回りにもコロナの影響で職を失った人がいたり、世の中では愛する人が命を落としても葬儀にすら参加できない、といった状況に見舞われている人がいるというのに。
そうした状況に今感謝せず、何をするのでしょうか。
最近読んだある本の冒頭にこんな言葉がありました。
「少なくとも今この本を読んでいるあなたたちが、同じ時間帯のソマリアの子供たちよりも苦しんでいるなんてことはないはずだ」
何を当たり前のことをいまさら…と思いながらも、内心少しドキッとした自分がいました。そして、生計を立てるために必死で農業を勉強していた、アメリカで出会ったメキシコ移民、イギリスマンチェスターに立ち並ぶ派手なクラブと、そのすぐそばに暮らす路上生活者たちを思い出しました。それだけじゃない。食べ物が手に入らない人、戸籍のない人、病に苦しむ人、住処を追われ、命を懸けて国境を越えている人…そして世の中には、今この瞬間にも飢餓で命を落としている子供がいるという現実を、私たちは普段つい忘れてしまいがちなのです。
老子の格言の中に、「足るを知るものは富む」という言葉があります。
私は十分持っている、とまずは知ること。そして、その事実に感謝する気持ちを常に忘れないこと。私がなりたい自分像を想像したとき、真っ先に思い浮かんだのはそんな姿でした。
私たちが今手にしているもので、「当り前のこと」なんて本当は一つもないはずです。小さくて平和な日本という国の中にいると、まるで自分の抱えている問題がものすごく大きくて大変なことのように感じる瞬間があります。しかし、今後はそんな環境に甘んじて愚痴を言いそうになった時には、少し引いた場所から世の中を見渡して、「足るを知る」ことを心がけていきます。これは意識しないと本当に頭から抜け落ちてしまいがちなので、毎朝の瞑想中にも感謝する対象に思いを巡らせる訓練をもっと頻繁に行います。
6.自分のいたわり方を知っている
自分の心身と常に調和する感覚を持てる人。これが最後のなりたい姿です。
食事や睡眠サイクル、適度な運動など、健康的な生活を送る上でのいわゆる「基本」と呼ばれているような面々の見直しも、ステイホームの時間中に意識し始めたことの一つです。
少しでも健康を意識した生活を送るだけで、身体も自然とそれに応えてくれているのがなんとなくわかるような気がしますし、何よりも自分で自分を大切に扱っていること自体がとても心地よいのです!
自分の身体というのは、自分に一生ついて回るもの。そして、その面倒を長期にわたって見ていけるのは、つまるところ自分自身。そう思うと、今のうちに健康に投資しておくに越したことはありません。こと健康に関しては、お金をかけずに出来る投資がたくさんあるのもラッキーな感じがします。
そして、健康を考えるときにもう一つ大切なのが「精神面での健康」。心と身体は繋がっていて、片方のバランスが崩れるともう片方の健康状態にも響いてきます。日ごろから自分の心と身体の感覚と調和しやすいように、デジタルから離れる時間を持ったり、愛する人とのコミュニケーションを大切にしたり、自分が心地よいと感じられる時間を意識的に持つようにします。
人生100年時代をハツラツと、最後まで駆け抜けられるように、今日から一歩一歩「なりたい自分」へ向けたアクションを開始していきたいと思います!
Peace!