1年の真ん中を過ぎて思うこと
今日は7月1日。
ということは、2020年のうち半分がもう過ぎ去ったということになる。
これほどまでに時の流れを意識した年は、もしかしたら今までなかったかも知れない。と、最近よく思う。今まではわりと時の流れに身を任せて「なんとかなるさ」と生きてきた側面が大きいことも関係しているのかもしれない。
今年に入ってからだろうか。「これからの人生」について、初めていろいろと具体的に考えを巡らせるようになった。きっかけはあまり好ましくない方法でやってきた。端的に言えば、合わない環境に必要以上に長く自分を置いたことによるストレス。じわじわと身体や精神を蝕んでいくそれに耐えられなくなった頃、思い切って人生の「ひとやすみ」を選択した。ほどなくしてコロナウイルスの流行が始まったこともあり、一気に家にいる時間が増加。なんとなく、今までぼんやりとしか想像出来なかった今後について思いを馳せるようになった。
家で一人、毎日たくさんのことを考えた。
目の前にいるのは、ほかでもない自分自身。
寝ても覚めても自分との共同生活。
不思議なもので、私はそんな毎日の中で生まれて初めて、本当の意味で「自分と向き合う」という体験をした。
今までだったら日常の隙間にうまいこと隠したり、素通りしてきたような感情や、目を背けたくなるような「嫌な自分」との対峙の日々。
「うわー、私って本当はこんな感じなんだ」
そんな新たな自分とのご対面は、正直あまり楽しいものではない。
出来れば気付きたくなかったようなこともいっぱい。
でも、そんなご対面の回数を重ねれば重ねるほど、不思議と私の心は晴れわたった。
今までなんとなくでしか理解できなかった「自分」という人間が、少しだけクリアになったような感覚。
「なんか、いいな」
そう思えるようになった私自身へも向けて、今回はとことん自分と向き合った結果学んだことを振り返りつつ、せっかくなので2020年下半期への目標なんかも書き残してみようと思う。
■ 学びその1:自分の境界線・限界を知る
一見当たり前のようだけれど、この世の中には自分でコントロールできることとできないことが存在する。「一見」というのは、物事の中にはその境界線が比較的はっきりしているものもあれば、あまりにもあいまいでうっかりすると判断を見誤ってしまうような場合もあるからだ。
特に未知の領域でのそれを見極めるのは至難の業なので、「まず経験」という心持ちは必至だろう。私自身、挑戦する前からあれこれ悩んだり判断したりするのは苦手だし、実際に経験してみて初めて分かることの方が圧倒的に多い。「自分って意外と体力ないな。生活リズムが乱れる仕事はパスしよう」とか、「人の欠点ばかり口にする人とずっといると疲れちゃうんだな」とか。小さなことだけど、こうやって自分の境界線や限界を一つ一つ確認していく作業って、自分自身を大切にするために必要なステップなんだと学んだ。
根性論みたいな考えが蔓延している社会だと、「ちょっとそれは苦手でして…」なんて一言が言いづらい。なんならド根性論で何百倍返しにもされて返ってくることもある。そういう時は、黙って静かにその場から立ち去るという方法があることも学んだ。
自分の限界を超えてまで周りに振り回される必要はないし、身体を壊す必要だってない。境界線も、場合によっては実線だったり、点線だったり色々だ。経験や年齢を重ねて、点線が実線になることもあるし、その逆もまた然り。とにかくそのときの自分の目の前にある限界を「事実」としてまず認識する作業が私には必要だと気付いた。
■ 学びその2:目を背けたくなるような感情を味わってみる
「人間誰しも完璧ではない」
頭ではわかっていても、知らず知らずのうちに自分の中の目を背けたくなるような感情に蓋をしていないだろうか。もしくは、「これは良い感情」「これは嫌な感情」という具合で自分の感情を勝手にカテゴリ分けしているかもしれない。
前者はゆっくり、それはそれは時間をかけて味わったりするのに対して、後者はなるべくなら素早く丸飲みしたり、もはや最初から口をつけずに存在しなかったことにしてみたりする。そんな自分の悪癖を知ってか知らずか、おうち時間は涼しい顔してときに唐突に「嫌な感情」との対峙を余儀なくさせてくるのだから全く容赦がない。
おかげで、今では自分の抱える気持ちがどんな感情から生まれたものなのか、時間をかけて考えるようになった。それが自分の「嫌な感情」カテゴリに入るものであればあるほど、時間をかけて味わう対象になった。それらの感情がどこからやってくるものなのかについて、思いを巡らせることがいかに興味深い作業であるかも学んだ。場合によっては、目の前で起きていることだけに起因せず、過去の自分にまでさかのぼって観察する必要も出てくる。そこまでして初めて、自分という人間の奥底に潜むトラウマだったり、傷つきやすさみたいなものと向き合える。
家にいる時間がここまで長くなかったら、きっと今でも素通りしていたであろうこの工程を経て初めて気づけたこと。
■ 2020年下半期の目標:「八風吹不動」
ズバリ、「湧き出てくる感情に振り回されない」という意味の禅語だ。
この言葉には、枡野俊明さんの著書、「おだやかに、シンプルに生きる」の中で出逢った。人間の中に生まれる「利」「衰」「毀」「誉」「称」「譏」「苦」「楽」の8つの感情に振り回されることなく、心を穏やかに保ちましょう、という心持ちだが、同著の中で特にハッとさせられた一節がある。
喜びや楽しさ、あるいは称賛されたりというプラスの感情でさえ、心のなかに生じた大きな揺れであることを知っておく必要があります。つまり自分にとってプラスの感情も、またおだやかな心を奪っていくことになるのです。
出典:枡野俊明「おだやかに、シンプルに生きる」
これを読みながら、「嬉しいことは手放しで喜びたい」「楽しいことは終わってほしくない」という自分の昔からの感覚をふと思い返していた。
小さい頃、よく楽しみにしていたイベントが終わりに近づくにつれて、無性に心がざわざわして泣いていたっけ。今でもたまにそんな感覚に陥ることがあって、気兼ねない友人や家族との時間のあとは、「よし、パワーチャージ出来たしまた頑張ろう!」となれば良いものの、元気がない時だとなかなか通常の気力を取り戻すのに時間がかかることもある。
また、喜怒哀楽がなかなかはっきりしている性分なのに加えて、周りの人の感情にかなり敏感な部分もあるため、人の感情が生み出す波に結構振り回されがちだ。感情を「味わう」ことはあっても、そこにいつまでも「執着」することなく、ただあるものをあると認識し、ゆるりと次に進む。どんな感情に対しても、平等に。難しいかもしれないけど、平穏な心でこれからの毎日を過ごしたい今の自分には必要な心得だと感じたので、ここにて目標とする。
以上、今まで立てたこともない1年の後半の目標を掲げる記念に。
Peace!