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エッセイ~山椒と幼虫と雀蜂と業者

何年か前に、
庭の壁沿いにいつの間にか山椒の木が生えていた。

最初はちいさく、
次第に中ぶりに葉を繁らせ、
やがて大きくなっていくのを見守っていた。

何かが育ち大きくなるという光景を見るのはいい。

時折、細い葉を一枚ちぎり、そのにおいをかぐ。
山椒のいい香り。

そのうちに春が来て。
その葉に揚羽蝶の幼虫がいるのに気づいた。
もりもりと葉を食べていく幼虫。
消えて行く葉 消えて行く幼虫の足場

おかしなことに、食べることで、育つことで
足場を失っていくのだ。

幼虫はそのまま葉を食べ終わると、やがて枝で蛹になり。
いつの間にか蝶になって飛んでいった。

そんな光景を年々繰り返し、
またある春の日のこと。

産み付けられた卵がかえり
幼虫が山椒の葉を食べている。

すると、
そこに雀蜂が。

たちまちに幼虫に襲いかかる、雀蜂。
幼虫は触覚を出して嫌な、においを出して抵抗。

しかし雀蜂は一刺しすると
顎で、幼虫をかみちぎり。
団子にしてしまった。

いくつにも分けられていく
団子、
哀れな気持ちでそれを見ていた。

お気に入りの山椒の木が気の毒なのか。
それについた、愛らしい幼虫が気の毒なのか。

雀蜂は何度も何度もやって来ては、
幼虫たちを連れ去っていく。

その内、
山椒の木はまた葉を繁らせた。

だが、壁沿いの通り道にあった山椒の木は、
父によって切り倒された。

服が刺のある木に引っ掛かり破けたからだそうだ。

食べるために、父にむしられる山椒の葉。

その晩は山椒の佃煮が食卓に出た。しかたがないこれも
運命だ。

香りが強くとても、おいしかった。

あれから何年たったことだろう。

冬が来る間近のある日。
車を庭から出しているとルームミラーから、
庭の奥の椿の木の上に、やたらと雀蜂が飛んでいるのが見えた。

慌てて降りて、椿の木の下から見上げると、
そこには大きな大きな雀蜂の巣。
飛び交う雀蜂。

市役所に電話をすると、すぐに業者を送るという。

軽トラでやって来た、防護服をきた業者によって、
ものの二十分で取り去られた雀蜂の巣。

雀蜂の巣駆除。
親子で来た業者は、
これから冬が来るからもう雀蜂も活発じゃなかったという 。

そして、これから冬が来たら、
雀蜂の巣の駆除の仕事もなくなるし、
どうやって暮らしていこうと不安げだに話していた。

安心したのだが。
それから数日、数匹の雀蜂が椿の木の上をさみしそうに
旋回しているのが見えた。
帰る場所を失ったのだ。
巣が無ければ、これから来る冬など越せまい。

あの幼虫の仇をとったと思えないこともない。

だが哀れ、
そう思った。


一体誰が 。
一番哀れなのか?

葉を幼虫にわたしに
食べられ、
やがて切り倒された山椒か?

その葉を食べて巣にしていて団子にされた、
揚羽蝶の幼虫か?

それとも
その幼虫をころした雀蜂か?

庭先で、繋いだいのちのリレー。

哀れなのは、巣に持ち帰った、いのちで冬を越そうとした
雀蜂が失った巣にいた幼虫か?

帰る場所もなく飛ぶ雀蜂か?

そして、今年最後だろう雀蜂の巣の駆除をした業者の親子か?

来年までどうやって食いつないでいくか話していた。

ただ、どこかの鳥が運んで来た、山椒の種が芽を出し
大きくなっただけなのに。

消えた山椒の木。

しかし今日その場所を通ったら、
またちいさなちいさな山椒の木が生えてきていた。

また、自然は同じことを繰り返すのか?

冬を越せるかわからない
山椒の木。

わたしも冬を無事に越せるだろうか?

一編の詩を種にして、
空に放ち、
鳥に託し

いつかどこかで葉を繁らせられるように。