なぜ世界はそう見えるのか
主観と知覚の科学
面白い本に出合えた
科学の本
スピリチュアルや精神論で済まされていたことが証明される
私たちは、自分が見る世界を見ている
ありのままの世界を見ている訳ではないのだ
知覚世界
赤ちゃんの発達は受動的トレーニングと
能動的トレーニングを通して運動スキルを獲得する
19世紀のヨーロッパでのエピソードが興味深い
戦争や災害などで親を失ったり捨てられた乳児を
養護する施設での乳児の死亡率が実に70%以上に
なっている話だ。
1か所の乳児院だけの話ではなく、
その時代の同じような施設、別の国でも
乳児の死亡率はそう大きく差がなかった。
栄養を満たすミルクを与え、清潔に保育しているにも関わらず
これという病気でもないのに、赤ちゃんが死ぬのだ。
知覚経験は心を形成していく
この欠如が、赤ちゃんを死に追いやったということだ
つまり、受動的トレーニング
抱っこなど、肌に触れられるという行いがないと
赤ちゃんは生きることができなかったのだ
環世界(ウンヴェルト)での
現象の存在理由(リゾンデートル)
哲学用語が飛び出し、知識不足を実感するが、
坂を登る、身体的能力により
傾斜認識が上下する
登る前から、重いリュックを背負ってみると
傾斜はきつく見えるし
健康状態が良くお天気のいい日なら
傾斜はそれほどでもないように見える
知覚世界は視覚と連動し、自分の見える世界として観る
視線が上に向いて話すとポジティブに
視線を下に向けるとネガティブな心情になるということ
視覚の上下という行為が頭頂葉に働きかける
脳と精神
心は実体があるわけではないのだが、
脳が知ることは精神に大きく影響させる
直感と言われるものは、
自分自身の進退機能と脳が同調している人ほど
良い決断ができるとあった
こういう人は、ゾーンに入ることができるのだ
利き手は、行動を誘導するし
全く初めてのところでも、1度でも会ったことがある人が
ひとりでもいると安心する。
意味なくお天気がいいだけで
幸福感を感じる人は多いし
周りの環境によって、良い悪いという
情動を知覚する
話すことは、口や手を使いジェスチャーを
入れることで
認知的負荷の軽減になり
コミュニケーションを取りやすくする
赤ちゃんが言葉を話す前から
指指しでコミュニケーションをとるということ
言葉がなくてもあれが欲しい、これは嫌と
伝わるということだ。
帰属する
赤ちゃんがふれあいがなければ死亡してしまう
というのは、人は一人で生きられないことを表す
ふれあいはとても重要で
皮膚は社会的器官と言える
つながることは触覚を通し
アイデンティティを形成していく
私たちは何かと仲間意識が強い
日本人は特に、島国精神なんだろうか
同じ地域出身者には心を許す
知らない国のひとは、排除しようとする
アメリカの例では、黒人というだけで
犯罪者のように見てしまう人が多いが、
グループセッションに黒人も入って一定時間
一緒に過ごすと、
黒人=犯罪という認識がなくなるという実験があった。
文化はいろんな分析によって
相対主義として存在していて
それぞれがバイアスを持っている
偏狭な理想主義は、人を孤独に追いやっている
かつて、家族の一翼は常に働く母親が担ってきた
働く母親へのサポートが充分でない国は
人口減少になる
日本はまさにここだろう
女性が専門職が母親業のどちらかを
選ばなければならない社会は少子化し
衰退することになる。
私の子どもの頃は、近所のおばちゃんが
親と同じように世話をやき、怒ってくれた
地域で子どもを育てるのが普通だったのだ
きづな
といいながら、きづなを鬱陶しいものとし
避けていることは、
世の中のすべてを見ていることにはならない
イジワルだと思った人が見ている世界は
実は自分が見ている世界とは違うのだ
私たちは未来へ歩いて行ってるが、
道を歩いているわけではなく
歩くことで、道ができている