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お腹がすく読書
新聞広告で見つけた本は、読んでいるとお腹がすいて
台湾に食べに行ってみたいと感じながら読み進めていった。
ネタばれするので、読もうかなって思っているひとは、
これを読まないで、先に本を読んでください。
昭和13年の台湾は日本の統治下
長崎に住む食いしん坊の女性小説家が、自身の小説の映画が公開されたことから、台湾から講演依頼を受けて、台湾へ渡り千鶴という通訳と一緒に台湾で1年過ごしたお話。
主人公の青山は、とにかく食いしん坊の大食いで、
「この辺に何か美味しいものはあるかしらねぇ?」が
口ぐせ
台湾漫遊鉄道のふたり
1938年、五月の台湾。
作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。
現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴とともに、台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。
しかし、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子は焦燥感を募らせる。
国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差―――
あらゆる壁に阻まれ、傷つきながら、ふたりの旅はどこへ行く。
日本人(内地人)は、愛玉(アイギョ)を知らない。
台湾の人(本島人)のことを知らない。
そして本当のことは、よく考えもしていない。
観光写真でのカラフルな提灯がいっぱいの町の市場のにぎやかさに
青山千鶴子と同じくワクワクしながら、物語は始まった
ピータイバはお米の太麺 バッツァ(豚肉のそぼろ)をのせた豚骨だしで、食事にしたり、甘いシロップに果物をいれておやつにもする。
ギャムラァは、生のシジミの醤油漬けで、台湾グルメで紹介されていた
水晶餃は、豚の餡がはいった芋やタピオカのデンプンで作った皮につつんで蒸したもの
豚肉で包んである肉団子 野菜と豚肉の団子に 芋丸はタロイモ団子
炒米粉は、インスタントだけど私も昼食に時々食べる
魯肉飯(ルーローハン)は、横浜のお店のお取り寄せで食べたことがあるが
この名前では、物語では出てこない。
豚の角煮をのせたご飯は、ローバーブン、そぼろ肉だとバァツァーブンとなり、屋台飯に
暑い台湾で、熱を冷ます青草チャ(ツューツァウディ)や 冬瓜茶(とっても甘いらしい)は飲んでみたい。
モァーイータンは、黄麻の若葉スープで、貧しい家のスープとして物語に出てくるが、それを作ってもらう手順は、とても手間と時間がかかり、青山は貧しい代名詞のように言う意味が分からないという。
このスープでお茶漬けをするシーンは、千鶴の心情を何も感じない青山との対比が、居心地悪さを感じてくる。
美味しいものだけのグルメ小説ではない
台湾中を旅しながら、その土地の食べ物を食べる、千鶴は料理もとても上手で、その過程も書かれている。
醤油のにおいが漂ってきそうなシーンも多くある
通訳としてだけでなく、秘書的な仕事もみごとにこなし、料理もうまい、青山の好みを熟知して先回りに用意する。
魔法使いのような千鶴と友達になりたいと青山は言う。
美味しい話にお腹がすいたなって読み進めながらも、居心地悪い、ちょっと青山の我儘ぶりにムカついたりしながらでも、話はどんどん進み、読み止まらない。
台湾は日本の植民地だった
7~8年前に、「永遠のゼロ」を読んで、パラオに行ってみたいと思って
初めてのひとり海外旅行に行った。
ダイビングをするわけでもないのに、なぜパラオ?といわれたが、未だに海岸に残っているゼロ戦を見たいと思ったからだ。
英語もできない私は、現地で働いている日本人ガイドにお願いして、案内してもらった。パラオも日本が統治していた島々で、スペインやドイツが占領していた頃に比べ、日本は道路や学校、病院を作ってくれて感謝しているという話を聞きながら、本当に日本軍はみんないい人だったのかな・・・っと
ハワイのモロカイに行った時は、ネイティブのハワイの人は、日本人と仲良しで、アメリカに言語も土地も奪われたと話ていた。
スリランカに行った時は、実は珈琲の産地だったのに、イギリスが占領した時に、すべてお茶畑に変えさせたという傲慢さを聞き、現在は中国資本からの借り入れで、身動きとりづらい状態だと聞き、ムカつく!って思った。
日本は、おかげ様で今まで、どの国にも支配されたことがないが、支配してきたことはあるのだ。
アマプラでイギリスの戦後くらいを舞台にしたドラマに、戦争で日本軍の捕虜となって、ひどいことをされたトラウマに苦しむ人が出てきたりするのを見ると
日本人は悪いところをちっとも継承していないのではないかとか思ったりした。
この物語は、おいしいだけでは決して終わらないし、めでたしめでたしでも
終わらない。
そして、事実の話のようなフィクションだということを「あとがき」を読むまで、全く気づかなかった。
しかも何重にもしかけてある。
読み終わった今も心はざわざわしてしまう。
人の視野は、なんてご都合主義なんだろう。そして私もそうなのだということ。
自分の都合でしか世の中を見れない、相手の立場になって考えるという事自体が、傲慢で自信過剰なのではないかと。
視野が広ければ広いほど、それはとても痛く、平和から遠ざかる行為を思いやりあると思い込んでやろうとするのではないか
今台湾は、中国からの軍事的威圧にさらされている。無事であることを祈ることしかできない。
自分は正しいと思い込むと 広げた視野は歪み見えない部分があることに気づかない。
そんな情けない私だが、せめて美味しい食事がとれる、毎日の平和を感謝する日々を過ごしていきたい。