「forgive」に向けて.4ーセルフ•コンパッションとどう向き合うかー
最近、Bank Band feat.MISIAの「forgive」という曲を目標(ゴール)としたプレイリストを作り(これについては次回の記事で書こうと思っています)、「自分を許す」ためにはどうしたらいいのだろうということをずっと考えていた。
過去1~3回までの記事
・問題提起の回となった第1回
・つらかった思い出やうまくいっていないことをたくさん箇条書きにして何に対して満足していないかを考えてみた第2回
・うつ状態?にある自分の最近の1日の過ごし方をまとめて、毎日自分に満足できていない(許せていない)ことを確認した第3回
セルフ・コンパッションとは?
今年、メンタリストDaiGoさんの動画を見て、『マインドフル・セルフ・コンパッション ワークブック』という本が自分に必要なのではないかと思い、取り組んでみた。
あまり聞きなじみのない、「マインドフル・セルフ・コンパッション」という言葉だが、HPによるとこの意味は
とのことだ。
ワークブックには、「セルフコンパッション」についての性質や有効性、実践方法について詳細に書かれている。
セルフ・コンパッションの3要素
上のワークブックによると、セルフコンパッションには次の3つの中核要素がある。
①自分への優しさ
:他人に優しくするのと同じように自分にも優しくする
②共通の人間性
:お互いに結びついているという感覚
③マインドフルネス
:わかりやすくバランスの取れたやり方で、瞬間瞬間の経験に気づきを得ること
この3つが、私たちが苦痛を感じるときに自分たちを支えていくものとなる。
ワークブックをやってみた
ここ最近メンタルの調子がよくない状態にあると思っていた自分は、このワークブックを1冊取り組んでみた。
就活等で中々集中的にこなすことはできなかったが、ワークブックに書いてある説明を読み、エクササイズや瞑想に取り組んでみた。
自分がどんな価値観を持っているのか、どんなことに不満を抱いているのか、どんな解決策が考えられるのかを可視化することができた。
許しの5ステップ
ワークブックで紹介されていた、許しの5つのステップ
このやり方については、頭にとどめておこうと思った。
自分に優しく接してもいいのだろうか?
セルフコンパッションの中に、「自分への優しさ」という概念がある。同じ悩みを抱えている友達に向けてならどういう言葉をかけるだろうか、そしてその言葉を自分にもかけてあげようというものである。
ワークブックを通して、この考え方をもとにエクササイズで記入することがたくさんあったのだが、書いてみることはできても、その言葉を自分にかけてあげることに違和感を持っていた。
ダメなままの自分を、変わろうとしない自分を、怠惰な自分を、どうやって認めようというのか。
過去の失敗などへの反省が足りないんじゃないか。
優しい言葉をかけてあげられる価値(理由)なんてあるのだろうか。
本によると、セルフ・コンパッションを通じて脅威に対する防御反応を制御し、ケアシステムが活性化するとのことだ。
優しい言葉をかけてあげることで、より冷静に考えることができるようになり、プラスの力で物事を前に進めやすくなるのだろう。
優しい言葉をかけることは、結果としてプラスの効果をもたらすのだと思う。
だけど、
やっぱり自分はそれを受ける資格があるのだろうかと、その理由を求めたくなってしまう。
未だに感情としては、優しい言葉を自分に与えることに消極的である。
一つ何かを失敗したら死にたくなってしまう。
(死ななければいけないという強迫観念がわいてくる)
同じミスを繰り返してしまう自分に、中々変われない自分に、ちゃんとしている人の邪魔になるから死んだほうがいいんじゃないかと思ってしまう。
自分の中の「攻撃的な一般論の声」によって、
社会(世界?)に対する罪悪感に押しつぶされてしまう。
1・2週間に1度は「死ぬべきかどうか」をいまだに考えている。
死んだら多くの人に迷惑をかけてしまうのに、自殺は一番無責任な選択肢なのに、それでも「死」という言葉が頭に浮かんでしまう。
「徹底的な自己批判」の先には何があるのか
未だに「徹底的な自己批判」をしてしまう。
その先には、
徹底的な自己批判
↓
頭がぐちゃぐちゃになる(ひどいと、死にたくなってしまう)
↓
体が動かなくなる
↓
精神安定剤を無理やり飲まされる
↓
時間が経過する
というルーティーンが繰り返されている。
今書いてみて分かったが、損得で考えると、圧倒的に損をするような過ごし方をしているような気がする。
それでも、責任感や罪悪感からなのか、中々このサイクルから離れることができない。
突破口は、「とりあえずやってみる」?
どうやら、自分に優しい言葉をかけてあげることは、プラスの効果をあたえるだろうと。
しかし、その行為を受け入れようとしない自分がいると。
それならば、
とりあえず一回やってみて、その結果を自分に突きつけてみるのはどうだろうか、と。
理由を求める自分としては不満はあるが、
その実験の結果が分かるまでは、少し黙ってもらおうじゃないかと。
・・・。
そんなこと、できるのだろうか。
自己批判をしたがる自分を抑え込めて、なだめようとする自分を登場させようとすることは可能なのだろうか。
自信はない。
でも、できたらいいな。