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階段の踊り場にいる方へ

今日は、「なんとなく自分のやりたいことができていないなぁ」と感じている方や「もっと活躍したいのにこのままでいいのかなぁ」と感じておられる方にお届けしたいと思って書いています。

現在、私は、フリーの研修講師として大分県での対面研修やオンラインでの企業研修を担当させていただいておりますが、3年前に大分県に引っ越しをしてきたころは研修講師ではなく、観光施設でサービス業のお仕事に従事していました。何度かお伝えをしていますが、私の主人が脳梗塞で倒れた後に私たち夫婦を引き受けてくださった方の会社です。

主人が脳梗塞で倒れる前の2年間は、数字ばかりを追い続ける会社に疑問を感じたり、早朝から夜遅くまで働き続ける働き方に限界を感じていることが多くありました。私が前職を辞めて大分に引っ越した理由は主人が脳梗塞で倒れたから、というものを表向きな理由としてお話しをすることが多いですが、実は、主人が倒れても倒れていなくても、あの年に前職を退職することを決めていました。40歳を目の前にして「この働き方をあと20年続けるのは無理だ」と思っていたからです。いろんなことが限界だったというのが正直なところです。

しかし、大分県に来てサービス業に従事する毎日は新しい世界で新鮮ではありましたが、いつもどこかで自分自身ではないような気がしていました。サラリーマンとしての働き方には限界を感じて来たけれど、大好きなスーツやハイヒールが恋しく思い出されることも多くありましたし、サービス業は好きではあるけど何か違うなぁと感じていました。まったく違う仕事をする毎日が、時間が経てば経つほど「私はこのまま何か違うと感じたまま一生を終えるのだろうか」不安を抱えるようになっていました。自分が不安定になってしまったことで主人に冷たく当たってしまうことも何度かあったと思います(その時のことは、「もう一度講師を選んだ理由」に書いていますので、お時間があれば読んでやってください)

そんな時に、とても尊敬している女性から「焦らないでいいと思うよ。えがおちゃんはこのままでは終わらないから。どうせまたすぐに動きだすから。今は階段の踊り場にいるようなものよ」と声をかけていただきました。「階段の踊り場」、その時にはよくわかっていませんでしたが、あの時の言葉からもうすぐ2年経とうとしている今は「確かにあの時にいた場所は踊り場だったんだ」と分かる気がしています。

ここで改めて「階段の踊り場」とは何か、ということですが、「おうちマガジン」さんの記事によると

この他にも、踊り場という言葉の由来といわれる説はいくつかあります。例えば、階段を急に上がると心臓の鼓動が早くなったりします。そのため、途中で休むスペースが必要な場合も有ることでしょう。実は心臓の鼓動を「踊り」と呼んだりします。そこから鼓動を落ち着かせる場所という意味合いをもたせ、途中で休むスペースを踊り場と言うようになった。

ということが書いてありました。「踊り場」には様々な説がありますが、「途中で休むスペース」という意味で今回は理解していきます。

結果的に私はサービス業を1年で退職し、研修講師に戻りました。そして、サラリーマン時代にやっていた研修よりも、もっと大きなお仕事をたくさんさせていただいています。あのままサラリーマン講師をやっていては出会えなかった方々と出会えています。またフリー講師となったからこそ、こうやってブログを書いて自分を発信することもできるようになりました。そんな毎日を振り返ると、「講師として階段を上ってきたんだな」と思うことがよくあります。サラリーマン講師からフリー講師になるための階段を上ってきた、でもその途中に、疲れていた身体と心を少し休ませるために別の世界も経験させてもらい、研修講師として引き出しを増やしてきたんだと、そう思えるようになったのです。確かにあれは「踊り場」だったんだ、と。

今、やりたいことから少し離れているように感じている方もおられるかもしれません。自分が望んだ道に進めていない方やもうあきらめるしかないと思っておられる方もいらっしゃるかもしれません。でも、今いる場所は「階段の踊り場」なのかもしれません。次の階段へ進んでいくために、少しだけ気持ちを落ち着かせたり、体力を回復するための場所です。だから今いる場所にいながらも、「今は身体を休ませる場所にいる」「この後は次のステップを上るだけ」と思っていただきたいと願っています。そうすると必ず次の階段を上る時がやって来るからです。その時は必ずやってきます。

いつもみなさんの明るい未来を応援しています。





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