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人の前で話す仕事

人の前で話すことは苦手だった、というより、全く出来なかった。

学校時代

小学校時代は、発言をしない子、と先生から言われていた。ハイハイ!と元気に手を挙げるクラスメイト。間違っていても、笑い飛ばすクラスメイト。そんな元気な集団の中で、どうしても手を挙げることが出来なかった。答えは分かっているのだけれど。間違えたらイヤだ、というのとも違う。ともかく、人の前で注目を浴びて話すことができなかったのだ。一旦閉じた貝殻が力を込めてもこじ開けることができないように。

中学、高校時代も、先生に指名されると真っ赤になり、震えて、上手く話せなかったし、生徒会では新聞を発行したり、書記をしたりすることを引き受けた。

大学では、科目の単位は取れていたにも関わらず、教育実習を行うことに恐怖を感じて、教員資格を取り損ねた。

仕事として話す

35年前、ライフワークとなった今の仕事に飛び込んだ。ここで、どうしても人の前で話す仕事をしなくてはならなくなる。個人的に話したことのある社員に、自分の役割としてどうしても伝えたい、という思いに動かされて、社内では、だんだん研修などができるようになった。

5年ほど経ち、外部の研修の仕事も受けなければならなくなった。何日も前から緊張して、原稿を繰り返し読んだ。当然、時間内に話し終えることが求められている。
当日、会場に入ると100名を超える受講生の目が注がれる。心臓の鼓動は最高潮に高まり、足が震える。ともかく決められた時間内に話し終えた。何を話したか記憶にない。同業者が私の様子を見ていて、「何とか話していましたよ」と囁き合う声が聞こえた。やはり、人前で話せない人と皆んなに思われていたのだろう。

やがて、少しずつ自分らしく話すコツを掴めた私は全国を回って研修をするようになった。
大阪で研修をした時に乗ったタクシーの運転手さんと会話をしていたら、「大阪では話すだけやったら聞いてくれへんで。笑いを取ってオチがないとあかん。」と言われて、ますます不安になり、逃げ出したくなったことがある。

四国で話した時は、受講生が涙を流して聞いてくれた。心に響く話し方、をいつか身につけていた。

コロナ禍になり、スタジオからオンライン研修を行うようになった。一度に北海道から沖縄迄、200人を超える受講生がパソコンの画面の向こう側にいる。双方の交流が必要、と、質問を投げかけて挙手をしてもらうが、淡々と正面を向く、顔 顔 顔。感情が伝わりにくい。
自宅から発信するようになり、画面の向こう側が良く見えなくなり、一人で部屋で話している違和感はますます大きくなって来た。話は伝わっているのだろうか?

最後の研修

30年が過ぎた。
今日の受講生は12名。
5時間にわたる対面研修である。

途中で咳き込まないように咳止めの頓服薬を飲む。講師は見た目も大切、と黒いパンツスーツにお気に入りのシャツを組み合わせる。昨年リニューアルしたパワーポイントに目を通して、新しく加えたいことを書き込む。
研修の前日から緊張し、会場に入る迄気が重くて、ある種の恐怖感を感じるのは変わらない。大きな建物を見上げながら何階が会場だっけ? 突然分からなくなる。資料を探しても見つからず、パニックになり、電話で確認する。
こうしてやっとたどり着くことができたのだ。

暖かい空気が流れていた。笑顔が私を迎えてくれた。一人、そしてもう一人。話す側にとって受講生の笑顔は大切だ。笑顔はあなたを歓迎しています、というメッセージ。味方がいる、という気持ちは人を強くし、本来の力を引き出してくれる。
体調に不安があった為、午前中は、受講生に質問する時間、受講生同士自由にディスカッションする時間を増やすことにした。
ともかく話しやすい。言葉が受講生の頷きや笑顔に吸い込まれて行く。思わずジョークを入れながら、伝えたい思いを込めて研修を進める事ができた。

午後、昼食を終えて戻ると全員席にきちんと座って、静かにしている。
「先生、全員揃っているので5分早く始めませんか?」と言う声が上がった。こんなに待たれている研修は初体験だった。「では5分早く終えるようにしましょう。途中で担当者に話しておきます。」ということにした。話しながら、名指しで質問をする。ビクッとする受講生。「お昼の後の眠い時間なので、どんどん指して行きますよー。」と言うと、笑ってくれた。
最後まで眠る人はいなかった。


終わった!
ビデオも使いながら、5時間にわたる講義を何とか終えることができた。
会場を出る時一礼をした。話したことの中で一つでも誰かの心に残ってくれれば良い。たとえそれが一人であっても。


これが私の最後の話す仕事になる。
多分。


ご褒美のロイヤルミルクティ


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