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大學の道 #2 <民に親しむにあり>

原文:在親民  <民に親しむにあり>
意味:人々(民)と親しむ、民衆同士を仲睦まじくさせる

 この在親民には2つのパターンがあって、礼記にある元祖『大學』では”在親民”、四書五経が形成された中国・宋の時代の儒学者、程明道・程伊川の兄弟が”在新民”と改編、”民を新たにするにあり”です。つまり君子が民衆を指導・教育し民を新たに(進歩)させることの意味になります。程明道・程伊川が原典の”親しむ”から”新”に変えたのも、大学に出てくる、”日に新た日々に新た…”の名句の影響かもしれません。この程明道・程伊川の兄弟は、後の中国・日本でも論争となる朱子学派、陽明学派の両派に大きな影響を与える哲人兄弟でもあります。
 とにかく大学にはいくつか議論のポイントがあり、この親民と新民も儒教の長い歴史において論争になるところで、在新民の意味も興味深いのですが、私は本来の『大學』にある在親民が妥当だと考えます。
 中世に封建支配体制おいては為政者と臣民の関係、日本の国家体制における政治指導者と国民の関係、一般社会における会社の上司と部下、学校の先生と生徒、夫婦や親子、友人、恋人同士においてもそうで、全ての人間関係において当てはめたときに、在新民より在親民の方が適当ではないかと思うからです。

 なぜなら”民を新たにする”という考え方は、自らが新しく、民衆(相手)が新しくないという前提に立っていて、どこか上から目線の関係の様に思えるからです。言い方を変えれば自分の方が正しく、相手が正しくないとも言えるからです。そういったことを心の片隅にでもあれば相手は必ず気付きます。上から目線での言動は必ず態度に表れ、相手を新しくしようと手を尽くそうとも、必ず相手から心の内を見透かされ反発に合います。古今東西の歴史においても斬新で未来を先取りした思想家や、政治家が人々の信頼を得ることができにくいのもこういう所にあるように思われます。
 例えば明治維新における偉大な人物である佐久間象山、吉田松陰、坂本龍馬、横井小楠など、先進的でドラスティックに何かを変えようとしてきた人々、新たにする一辺倒では、古い価値観に凝り固まった人々の反発を買い、軋轢や誤解を生み悲劇的な最後を迎える事が多いのが歴史の常です。特に長州藩の医師であり稀代の戦略家・大村益次郎の最期は残念でなりません。
 蘭学者・緒方洪庵の高弟であり、海外の書物を読めることから宇和島藩に招聘され日本で初めて黒船設計に携わった後、桂小五郎にその語学力と明晰すぎる頭脳を見出され長州藩に戻って海外の兵法書を講義したり、軍師としては10倍以上の兵力を持った幕府連合軍の戦いにおいても冴え渡る戦略眼を発揮し長州藩を大勝利させ、維新回転の道筋をつけます。その後の戊辰戦争においても大きく貢献し、先進国を参考に軍制を整え日本陸軍の父と呼ばれ、靖国神社にもその銅像が立っています。それだけ日本を近代化に向け新たにしてきた人物でありながらも、古い価値観に凝り固まった新政府軍の守旧派の嫉妬、武士階級の憎悪を買い、何度も命を狙われ最後は帰らぬ人となりました。
 

 古い価値観を新たにしようとすることは偉人と言われる人物であっても決してそう簡単なことではないのです

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