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「障害」ってなんだろう?自分の語学力から感じ取ること

視力が悪い人は眼鏡を、足が不自由な人は杖や車いすを。視力が悪い子が裸眼で教室の一番後ろから黒板の文字を読むことはできないし、足が不自由な子が体育の授業を他の子と同じようにするのは難しい。これらは容易に想像できるけれど、こと発達のことになるとグレーゾーン、スペクトラムなどの言葉が広く知られているとおり、人それぞれ特性もその度合いも異なるから困難さが周囲からわかりづらい。これが厄介で困難さを助長しているのかなと思う今日この頃。

「障害」という言葉を使うことに未だに抵抗があるのですが、我が家の小1次男は軽度知的障害でASD、支援級に在籍してます。普通級の30人クラスで皆と同じペースで勉強するのは難しいので支援級で個別に学ばせてもらっています。個別支援教育という言葉どおり、本人のペースに合わせてもらっているのは大変ありがたい環境です。

私が次男の学ぶペースを見ていていつも重ねているのが自分の英語を使ってコミュニケーションする職場環境。私の職場では日本人もいますが一緒に働くメンバーは欧米&中華圏の人たち。共通言語はもちろん英語で、チーム内にはネイティブ&ノンネイティブ含めいろいろですが基本的に総じて英語は難なく使いこなせる人ばかり。私は必死にくらいついていますが控え目に言って同じチーム内で一番英語力が低いです。涙 それでもなんとかくらいついて今のところ頑張ってコミュニケーションとってます。ここでの経験は自分が他人(他国の人)より英語力が低いと痛いほど体感すること。時には私以外全員中国人で途中、会議が中国語に切り替わり全く置いてけぼり、なんてことも。。。。その中で私に課せられている任務は自分が持ってる能力(英語と仕事の知識)を活かして円滑に職務を遂行するということ。そして周りの人たちはたとえ私の英語力が低くてもそのことで馬鹿にしたり下に見てきたりなんてことは全くありません。(いや、私が感じてないかもしれませんが💦)そんなこと表立ってするような人がいる職場じゃないホワイト企業なのがありがたい環境でもあります。

さて、次男になぜ重ね合わせるかというと次男は一般的にはみんなができることができない点があるのですが、次男と会話していてなんかかみ合ってないなと感じることが多々あります。そんな時は自分が英語の会議で全体の7-8割しか理解できてない中で質問をされた時のことを考えると次男のちぐはぐな応答が少しわかる気がしてくるのです。こちらが言ったことの中からいくつかの単語を拾って自分なりに解釈して返してるんだな、と。英語を使ってる時は平常時の1.5倍くらい頭が疲労するので、これって次男にあてはめると年相応に皆と同じことをする場面ではすごく頭も体も使って疲れてるのかなーって。そう思うと日々何気なくやっている次男の言動も人一倍頑張ってるんだよなと理解できます。

「障害」ってなんだろう?

私はグローバルチームでコミュニケーションをとる時は語学では苦労、困難があるのでそういう意味では英語力に「障害」があるということになります。こう定義すると誰もが何かしらの障害を必ずもってるのでこれって障害って言葉で表現するのではなく、得意不得意、特徴っていったほうがいいのかなと思ったりもします。一方であまり言葉の意味に固執せず、みんな違ってみんないいが実現する社会になればいいなと常日頃願っているのです。



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