![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161490968/rectangle_large_type_2_c3b0f9ddfe63d53e06234ad68f018315.png?width=1200)
まるい飯店と天鳳
大阪梅田・阪神百貨店の裏に、その中華料理店はあった。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161491867/picture_pc_ef15627c42542bddf4ddf42707a011a9.png)
一杯100円のラーメンが名物の「まるい飯店」。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161491456/picture_pc_f44db0f9ccb63b0822d8c16a2a7d727d.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161491457/picture_pc_d97e199dbab783f391c876ff81261f94.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161491458/picture_pc_4ae6e54b6d0d0d050638d147164f83ce.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161491459/picture_pc_2594e847a623c4824837b1ffa18660df.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161491460/picture_pc_c37b0168aa225c3af7805ac09393cc0a.png)
1970年代後半、三階建ての「マルイ飯店」の辺りはまだ戦後の闇市の名残りをとどめていた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161491927/picture_pc_5b67387f726a16634cb114cd73fb2d57.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161491926/picture_pc_85c575ec74d0d354563faf002df5367c.png)
巨大な布の下で、幾つもの露天商が商いをし、中には紀伊國屋書店なども出店していた。今のシネコン「ブルク7」(現・Tジョイ梅田)の建っている所がその跡地である。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161492114/picture_pc_c981e340137e645f18dfb2db9975e578.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161492115/picture_pc_367d865bbbfc1eb668e48c547a31c920.png)
「マルイ飯店」のチャーシューメンは、値段がグッと上がり、280円。
瓶ビールはお客がクーラーボックスからセルフで出すシステムだった。100円ラーメン単体では赤字で、お客がいろんな料理や飲み物を頼む事で経営は成り立っていたのだろう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161492187/picture_pc_6f155095c265d60581198644b4ebd286.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161492188/picture_pc_f25df069c5aa82e2fd9f8b8e9630565b.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161492186/picture_pc_a7d3b48f8018437facb12656a068ca08.png)
大学生の僕は、「毎日ホール」や「大毎地下」といった名画座へ行った帰り、「まるい飯店」に寄った。
一人で映画の感動に浸りつつ、チャーハンと餃子を食べ、ビールを飲んだ。もちろん、これだけでは千円いかない。お財布にとても優しい中華料理店だった。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161492656/picture_pc_339c06ebbd3c53dae0a2b4039d0f84bf.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161492658/picture_pc_3b18d3a67f9db2168e7f0316464cd641.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161492657/picture_pc_f82cdc79569feed7c9548d6c1829b856.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161492660/picture_pc_63ede3cf57fd25409e97ad2da001d75f.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161492659/picture_pc_377c025b80959998148d486ef9c69aa5.png)
大学の最寄り、阪急宝塚線・石橋駅には、量で勝負する中華料理店「天鳳」があった。
お金の無い下宿生の間では少ないお金で腹いっぱい食べられるので人気だった。
僕はここで「天津飯」の「大」を頼んだ事があった。
蟹玉を炒めるイイ音がする。洗面器くらいある大きな容器が出て来て、それにタップリ、山の様に白飯が盛られた。
巨大な蟹玉が白飯の上に載せられ、その上から熱々の餡がかけられた。
天津飯にウスターソースをかけるのが僕流。味は文句なしに美味しい。先の事をあまり考えずに食べ始める。
レンゲが天津飯の中を進んで行く。掘っても掘っても、白飯と蟹玉だ。さすがに飽きくるし、お腹もいっぱいだ。
天津飯とお冷やを交互に口に運び、完食した時には、お腹が苦しくて、その場から動けなくなっていた。
この「天鳳」というお店、石橋で見なくなって、潰れたとばかり思っていたが、今でもやっていた。
石橋駅から阪急箕面線に乗り、牧落駅へ。そこに店名はそのまま、営業していたのだ。
同窓会の帰りに立ち寄って、天津飯を食べたが、味は昔と一緒だった。但し、「大盛り」は無くなっていた。
こういうお店に、数十年の時を経て再訪するのは、ワクワクして楽しい。
大学時代と言えば、講義が終わった頃、大学に行き、面子を集め、毎日の様に麻雀していた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161493081/picture_pc_a8313b2c91b278ce6559b92d68c68ae7.png)
雀荘で頼んだのが、自家製、ウィンナーソーセージが1切れ浮かんだインスタントラーメン。塩味だ。
麻雀しながら食べるインスタントラーメンは何とも言えず美味しかった。
特にテンパイして、リーチをかけている時は。
料理には想い出がリンクする。
懐かしい料理に再会すると、懐かしい想い出が堰を切ってよみがえって来る。
そんな料理に出会う旅に出てみたい。