ニューデリー〜ジャイプール in インド
デリー〜ジャイプール
インド
どうしても、インドに行きたくて行きたくて堪らなくなった。
単独で行くのはさすがに怖いので、ツアーで行く事にした。
二名から催行するツアーに申し込んだのだが、なかなかこの二名が集まらない。
期限が来そうになり、一つ上の先輩・藤井裕也さんにお願いし、やっとツアーが成立する。
成田から二人でエアー・インディアに乗り、インドの首都・ニューデリーへ向かう。
機内に入った途端、美味しそうなカレーの香りが漂う。
フィリピン・マニラ、タイ・バンコクを経て、深夜の一時半、ニューデリー国際空港に着いた。
ここまで、日本からの添乗員が同行せず、現地の日本語を話せる添乗員が同行する事になっているので、ツアーが最終的に何人で組まれたか分からなかったが、ここで判明する。
スーツケースを受け取り、通関を済ませ、たくさんの人が出迎えている出口へ向かう。出口の外はむっとする暑さだ。
ここで会ったのがラジプットさん。私たち二人の添乗員さん。日本語が話せる生粋のインド人である。この時、彼は来日経験が無く、後年来日。
「日本に来たら、連絡してね。日本を案内するから」という日本人の社交辞令を信じて、ホテルも取らずに来日。
ほとんどの日本人ツアー客に拒否され、ボロボロになって、先輩Fさんのところに連絡があったそうだ。藤井さんはそんなラジブットさんを家に泊めて、その心を癒してあげた。
結局、私たち二人と添乗員ラジブットさん、車(ワーゲン・ビークル)の運転手四人のツアーとなる。この日は夜も遅いという事もあり、ハイアット・リージェンシーホテルまでの送りのみ。疲れたので、即刻就寝。
翌朝、朝食はバイキング。カレーバイキングがあったので、まずは赤いカレーを食す。これは日本のカレーの比ではない辛さ。慌てて、緑のカレーを食べる。ところがこちらの方が圧倒的に辛い。後で聞いたのだが、緑のカレーの原料は「青唐辛子」で、それゆえこちらの方が辛いのである。
やはり、インドは混沌としていた。
人間の横では、牛が放尿しており、その横をリキシャーや車が猛スピードで通り抜けていく。
灼熱の太陽がすべてのものに平等に照りつける。
ニューデリーでの観光を終えて、ジャイプールに向かう。
両サイド砂の大地の中を走る国道を出せる限りの速度を出して、我々の車は突っ走る。
私と藤井さんは後部座席で手すりを持ちっぱなし。
それでも、体はバウンドし続け、何度も天井に頭をぶつける事となる。
途中、人(村の子供⁉️)を轢いたらしいトラックを発見‼️
明日は我が身。
ピンク・シティーと言われているジャイプール到着。
観光後、ホテルへ。
夕方、ホテルの近くを一人で歩いていると、同い年の青年に声をかけられた。
自分が描いた絵を買って欲しいとの事。そんな彼に質問した。ヒンズー教徒はお酒を飲むのか?
答えは外国人が泊っているホテルのバーで飲む。
彼女と事におよぶのも同様のホテルだそうだ。
自宅に来ないかと誘われたので、好奇心が上回って、付いていった。
典型的に思える庶民の自宅。夕ご飯を作っている母親にも紹介してもらった。
ノドが乾いたので、水をもらい飲んだ。今思うとビックリする位、大胆だった。
添乗員のラジプットさんの結婚について、少々書いてみたい。
彼は結婚式の当日まで、お互いの顔を知らない。
インドで厳然として存在するカースト制度。それ故、同じ身分の人としか結婚できない。
しかも結婚相手を決めるのは両家の両親だ。
もちろん、ヒンズー教徒の中にも、男女の恋愛はあるし、仏教徒である日本人以上に「性」に関しては大らかである。
インドの大きなお寺では「壁にいろんな「セックスの体位」が描かれていたり、「神体が男根であったり」する。
ラジプットさんの身分は「クシャトリア」。奥さんの身分も「クシャトリア」である。
これから、なかなか泊まれないウダイプールの「レイクパレスホテル」に向かう。
ラッキーにも泊まれる事になったのだ。
我々のインド珍道中はまだまだ続く。
(1985年)