親友・後藤和史くん
六甲中学・高校の同級生、後藤和史くんが亡くなった事を知ったのは、彼のFacebookを死後見たからである。
彼とは中学時代、とても親しく付き合っていた。
僕もアメリカの本格ミステリー作家、エラリー・クィーンにハマり、彼もまったく同じだったからである。
阪急神戸線、彼は学校最寄りの「阪急六甲駅」の東隣り、「阪急御影駅」の山側の高級住宅街の一戸建てに住んでいた。
彼の父親は神戸・水道道に面した家具屋「丸藤」の社長。
水道道は昔、「神戸市電」が石屋川まで走っていた道路。
「丸藤」は「JR六甲道駅」から商店街を抜けて、すぐの所にある大きな建物だった。
一回くらい、僕も「丸藤」に行った記憶がある。
今でもそこにあるかも知れない。
エラリー・クィーンという作家の著作の中に「国名シリーズ」という作品群がある。
たとえば、「ギリシャ棺の謎」の様に、タイトルに必ず「国名」が付いているから、そう呼ばれている。
この「国名シリーズ」は「本文」の後半に差しかかると、「読者への挑戦状」というページがあった。
つまり、「今までの本文」を読めば、「真犯人」が分かるという「エラリー・クィーン」から「読者」への挑戦状。
これが僕たち「読者」にとって、たまらない魅力だったのである。
後藤くんは、「国名シリーズ」全巻の「創元推理文庫」を「読者への挑戦状」のページまでと、その後の「解決編」をカッターで切って、分けて置いていた。
ものすごく、それを見せてもらった時の光景、未だに忘れられない。
そして、「国名シリーズ」を含めて、エラリー・クィーンの作品は「早川ミステリー文庫」からも出版されていたが、後藤くんも僕も「創元推理文庫」派だった。
「創元推理文庫」が井上勇訳、「早川ミステリー文庫」が宇野利泰訳。
「早川ミステリー文庫」の場合は「ギリシャ棺の謎」では無く、「ギリシャ棺の秘密」だった。
そして、もう1人、僕が夢中になった作家がいた。
エドガー・ライス・バローズである。
最初に読んだのは「創元推理文庫」の「火星のプリンセス」。
それから、「火星シリーズ」「金星シリーズ」「ペルシダーシリーズ」全巻を読破。
「早川SF文庫」から出ていた「ターザンシリーズ」も刊行されるとすぐに買って読んだ。
ここでも「創元推理文庫」とあう括りで、後藤和史くんと趣味が被る。
当時、神戸の港が広々と見える高台の後藤家にお邪魔した時、彼は2階の自分の部屋であるものを見せてくれた。
徐ろに、自分の机の引き出しを開ける。
そこには100冊を悠に超える「創元推理文庫」全巻が収められていたのである。
当時、「東京創元社」から出版されていた全てが。
後藤くんは得意気だった。
僕はやっぱり彼は金持ちの息子だと実感した。
そして、彼の部屋には今はもう誰も忘れているであろうある物があった。
「CD-4のステレオ」である。
部屋の四隅に「四つのスピーカー」が設置されて、「専用のレコード(四つの種類の音が録音された)」をかけると、「四種類の音のハーモニー」が「部屋の中央」で聴く事が出来るという優れもの。
但し、この「CD-4」というシステムは根付かなかった。
「CD-4」用の「レコード」の数があまり発売されなかったから。
六甲高校時代、後藤和史くんとは疎遠になった。
最後に憶えているのは、「阪急御影駅」のホーム。
ホームの後藤くんが、車内に座っている僕を追いかけて、僕の方を見つめて走る。
しかし、彼は前を向いていなかったせいで、ホームの鉄柱に激突して崩れ落ちたのであった。
めちゃめちゃ痛そう。
そして、半世紀という歳月が流れ、ふと後藤和史くんはどうしているのだろうと僕は思った。
すぐFacebookで探した。
そして、見つけたのだ、彼のFacebookを。
彼の最後の書き込みは「淡路島で重い病気の療養している内容」だった。
「死」を予感させる内容だった。
そこには「諦観」が感じられた。
その後、同窓生を通じて、「彼の死」を知った。
残酷な時代になったものだ。
「インターネット」、とりわけ「SNS」など無ければ、僕は永遠に彼が死んだ事を知る事も無かったかも知れない。
でも、彼は自分のFacebookに「デジタル・タトゥー」(インターネット上に亡くなった本人が遺した痕跡)を遺していた。
こんな「伝わり方」。
「やり切れなさ」が何倍にもなる。
現在、後藤和史くんのFacebookはインターネット上から消去されている。