【不登校】卒業式どうしようか
今回のテーマは「卒業」です。年度末に増える辛い相談を受けるたびに、少しでもその痛みを緩和できないものだろうか、と悩みます。
不登校の子にとって、「卒業式」は、学校と向き合う最後の瞬間であり、子どもと学校の距離感が視覚化されるものだ、と私は考えています。つまり、子どもと学校にどれほど心の距離があるのか。また、学校はどれだけ子どもと信頼できる関係を築いてこられたのかが、とてもよくわかる機会である、ということです。
例えば、私たちのフリースクールでも、冬休み明けくらいから卒業準備のため学校に行ってからフリースクールに来る子がいます。そのような利用者の多くは普段から学校とのつながりを持っていました。「終わり良ければ全て良し」と言われますが、在籍校は「終わり」だけを取り繕うような対応ではなく、少しずつ関係を積み重ね、本人の意思を尊重できるような環境作りをしていたのだと思います。
一方で、出席すべきか苦しむケースも少なくありません。子どもが自分で自由に選択できるだけの雰囲気もなく、周囲が良かれと思って卒業式出席を求めることは、本人にとっては「このまま(の関係で)学校と切れてもいいの?」というあまりに強いプレッシャーになってしまいます。
卒業式については不登校新聞がアンケート調査を行っています。
不登校の出席者は約6割もありますが、その内で良かったと思ったのは3割です。アンケートでもあまりポジティブな意見がありません。おそらく、出席することが求められる空気感の中で出席を選択された方が多かったのではないかな、と思います。
一方で、欠席者の8割の方が「欠席して良かった」と答えていますが、捉え方によっては、そこまで決意する必要があるほどに、欠席のハードルは高いのではないか、と思います。「嫌じゃないなら出席しなさい」と。
そもそも、卒業式に出たかどうかということは、不登校だからこそ聞かれるアンケートです。あるいは、卒業式に出た子に「なぜ卒業式に出たのか」と聞くことはあまりないように思います。
いずれにしても、卒業してからも、自分の選択を問い続けてしまうことなのかもしれません。
卒業式出席の是非については、本人が決めることであるべきで、選択の自由とともに、選択した後まで負荷がかかることが良いとは言えません。
そのように考えると、どれだけ区切りをつけられるかだと思います。フリースクールの中には、卒業を祝うイベントを開催しているところも多いですし、友達同士や家族で旅行をするなど、1つの区切りを実感できるような様々な形があります。
最近、私が体験して面白かったのは、ゲームを介して世界中の友達と仲良くなり、ゲームの中で卒業おめでとうプライベートイベントが開催されたことです。そこには年齢も住む場所も肩書きも何もかも違うたくさんの人たちが集まり、その子の卒業をお祝いしながら、みんなで楽しむというイベントになっていました。その子のために開かれた小さなイベントが、その子にとって大きな思い出となればと願っています。
いずれにしても、学校行事として卒業式に出ることと、自分の心の中で卒業を感じることは別なのだと思います。そして、大事なことは、子どもが自分の中で一つの区切りとなって、学校生活から本当の意味で解放されることではないでしょうか。