庄司 証
休みが増えるGW明け 休みが増える傾向になるタイミングの1つが、5月の連休明けです。新年度からがんばろうという気持ちが強すぎて、エネルギーが切れてしまったり、思いと現実のズレが出てきたりするのかな、と思います。 …と書き出した記事が、東洋経済オンラインに残っていました。 登校圧力再び… ここ数年、教育委員会等の文章に「未然防止」や「早期対応」の文字が増えてきたように感じます。そして、それは「休みそうな子」という個人を探し出して、個別に指導するような印象を受けます。
記事全文が、まだ「東洋経済オンライン」の方に残っていました。 リンクを張っておきますので、そちらを読んでいただければと思います。 不登校新聞に「『不登校』のわかり方」っていう題(仮)で書いたんですが、下記のように変わっています。 記事を読むと、平成から令和にかわるタイミングでした。今は、数日の欠席から学校は注視するようにと教育委員会等でも話しているようですし、不登校の想定をしている先生も少なくないように思います。 細かな部分で修正する部分はありますが、「休みはじめ」がス
今回のテーマは「卒業」です。年度末に増える辛い相談を受けるたびに、少しでもその痛みを緩和できないものだろうか、と悩みます。 不登校の子にとって、「卒業式」は、学校と向き合う最後の瞬間であり、子どもと学校の距離感が視覚化されるものだ、と私は考えています。つまり、子どもと学校にどれほど心の距離があるのか。また、学校はどれだけ子どもと信頼できる関係を築いてこられたのかが、とてもよくわかる機会である、ということです。 例えば、私たちのフリースクールでも、冬休み明けくらいから卒
今回は、子どもに「“ふつう”になりたい」と言われたら、というテーマです。 年が明けた頃から進路の相談が増えてきます。例えば、新しい環境に希望を抱いて、笑顔とともに「“ふつう”に進学したい」という子がいる一方で、周囲からの「どうするの?」という強いプレッシャーに押され、辛い顔で「行けるものなら“ふつう”に学校に行きたい」と答える子も少なくないように思います。 そんな「ふつう」という言葉をいったいどう捉えたら良いのでしょうか。いずれにしても、保護者としてその言葉を素直に
数年前に、私自身が小学生の子を持つ親になって、登校させることが親子に課せられた試練であるかのような感覚を初めて実感しました。乗り越えて然るべきもので、子どもを学校へ行かせることで初めて“家族が”社会の一員として認められる。そんな感覚です。 理解はしているつもりでしたが、実感してしまうとやっぱり怖いです。そのような価値観から見ると、不登校は試練から逃げることであり、「本当にそれでいいの?」という圧力がかかります。 「普通は学校なんて誰でも行ける。それなのに、学校に行けな
「どうやって聞こうか②」がまとまっていないので、今回は不登校と兄弟関係というテーマでお話をしてみたいと思います。 以前、下記のような相談をいただきました。 「わが家には小学生の子が2人います。兄が小学校4年生で、妹が小学校1年生。兄が不登校になり、今は家のなかで自由にさせています。ところが、兄が妹を攻撃するので困っています。妹の物を取り上げる。嫌味なことを言い続けるなどです。兄は私といると二人でいるときはなんの問題も起きませんが、三人でいると、ちょっかいを出します。ど
「不登校になった理由は聞かないでください」と、保護者に言うことがあります。 なぜ「聞かないでください」というのか。 1つ目は、子どもももわからない(ことが多い)から。そして「なぜ行けないの?」の問いの裏には、「行く(べき)」という前提あるから。行けない状況だと責められるように感じることがあります。子どもからしてみると「行けるなら行っているし、なんでこうなってしまったのか」。頭の中で整理できるまでは時間がかかるものです。 2つ目は、理由がわかったとして、解決が難しいことが
今回は「見守る」というテーマで書いてみたいと思います。夏休みが明けてからの相談を受ける中で、保護者の方が「見守る」ことに悩んでいるように感じたからです。 私も不登校支援者として、20年くらい前からずっと、「見守りましょう」と言い続けてきた一人です。 そんな主張をし始めたころは、「見守る」ということ自体がまだまだ新しい姿勢でした。不登校の子どもに対してどうかかわるべきかが問題とされている時代にあっては、ある意味で「かかわらない」というのはそれだけでインパクトがあり、大
今回のテーマは、「夏休み明けに思うこと」です。 「平成27年版自殺対策白書」(厚労省)における「18歳以下の日別自殺者数」のショックは今でも覚えています。(北海道はすでに学校は始まっていますが)9月1日が突出して多いのです。不登校の子も、そうでない子も、長期休みが明けることに、とても大きな不安があることが伝わってきます。 昭和48年度から平成27年度における、通学適齢期の自殺者数に関する分析【速報版】の公表について 夏休み明けはフリースクールへの相談数が増える時期
今回は「不登校の子の夏休みの過ごし方」ということについて書いてみたいと思います。 長期休業中に増えるのが、「夏休み(冬休み)に子どもはどう過ごしたらいいのか。親として何をしたらいいのか」という質問だからです。 まず、保護者の会などでよく聞くのは、子どもが夏休みに入って元気になったような気がする、という話です。「学校のみんなが休んでいる。(だから)自分が(みんなと同じように)休んでも大丈夫。」 きっと(みんなと同じ)登校というプレッシャーから解放されるということだけ
不登校についての相談を受けていて、ものすごく多い質問が「いつまで待てばいいのか」というものです。自分の子どもの不登校が続くなかで、その質問が生まれてくる辛い心情も理解できます。 そんな保護者の多くが待っているのは、「(楽しく学校に行っていた)元のころに戻った」子どもの姿、だったりします。 それは、学校の先生が使う「待つ」という言葉からも、そのニュアンスが伝わってきます。特に、中学校の場合は、3年間という時間制限や、現実問題として高校進学とも密接な関係があるので、子ど
学習指導要領改訂により不登校対応も項目の中に含まれるようになったことから、学校が不登校理解を図ることの嬉しさを感じながらも、どうしても「不登校」というインパクトが強くて、そこに思いが集中してしまっているように感じます。 そこで今回は、「不登校」というキーワードに圧倒されないことについて書いてみたいと思います。 まず、不登校について文科省の定義を見たいと思います。 「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況に
新年度になりました。不登校新聞やフリースクールのニュースレター作成でnoteの更新をサボってしまいましたが、このタイミングで書きたいことをひとつあげようと思います。 この時期は、お子さんから「4月からは行くよ」と言ってもらえた保護者の方は少なくないのでは、と思います。あるいは、何度となく「行くよ」と言われては上手くいかず、どう捉えて良いのかモヤモヤしている方もいるかもしれません。 今回は、そんな「4月から『学校へ行く』と言われたら」どうしたらいいのかを、考えてみたい
「特に学校で何かあったわけじゃないと思うんですけど…。」 小学生の不登校の相談で、“原因”について、困った顔をした保護者の方がよくつぶやく一言です。 中学生以上だと、人間関係や成績評価等、確信はもてなくても子どもが何に辛いのか、保護者も想像しやすいのかもしれません。 子どもの様子を見ると、よくわからないけど、どうにも言い表せぬ不安。 大人はどうしても、小学生の子が学校に行けないことを想像するのが難しいのかもしれません。ドラえもんの世界のように、ジャイアンもスネ
庄司 証(しょうじ あかし)です。 一般社団法人 函館圏フリースクールすまいる の代表理事をしています。 不登校新聞で、『すまいる式 子どものわかり方』という連載を約2年くらいしていました。下記のように、けっこう色々な媒体に転載されて、多くの方に読んでいただいたようです。ありがたいことです。 連載は終わってしまったのですが、自分の情報収集や思考整理の場を作りたくて、noteに綴っていこうと思いました。 連載時と同じくらいの頻度(月1~2回)で更新できればいいな、と思っ