「不登校」夏休み明けに思うこと
今回のテーマは、「夏休み明けに思うこと」です。
「平成27年版自殺対策白書」(厚労省)における「18歳以下の日別自殺者数」のショックは今でも覚えています。(北海道はすでに学校は始まっていますが)9月1日が突出して多いのです。不登校の子も、そうでない子も、長期休みが明けることに、とても大きな不安があることが伝わってきます。
昭和48年度から平成27年度における、通学適齢期の自殺者数に関する分析【速報版】の公表について
夏休み明けはフリースクールへの相談数が増える時期とも重なることから、私も感覚的にはわかっているつもりでしたが、数値として目の当たりにすると、淋しい気持ちでいっぱいになりました。
インパクトの大きいこの事実に対して、例えば、不登校新聞においても樹木希林さんが「どうか死なないで」というメッセージを残している他、多くの著名な方が、生きて欲しいといったコメントを様々なメディアに寄せています。
また、鎌倉市の図書館は「学校が死ぬほどつらい子は図書館へいらっしゃい」とSNSで発信しました。家にいる辛さもあることを思えば、どこか違うところに行く選択肢がある、ということはもっと広まるべきです。
そして、そんなたくさんの想いが、どうか子どもまで届いて欲しいと願っています。誰の声が届くかはわかりません。でも、声を出さなければ聴くことはできませんし、誰かの声が、その子に届き、絶望から救ってくれることを信じたいのです。
私も、活動を通して、利用している目の前の子の命の危うさを感じることがあります。死と向き合うこともありました。そんな経験をするまでは、まさか子どもがそんな選択をするだろうか、と思っていました。ましてや、自分とかかわる子どもには起こりえないだろう、という慢心もありました。
体験を思い返すと、私は想いを伝えられていたのか。自分がつながってかかわっている方と、どんな関係を築いていくことが正解だったのか。今でも悩みます。
「死ぬな」という言葉は、シンプルだけど力強くて、でも怖くて、私は使うことを躊躇してしまいます。私も声を出したいのですが、なかなか言葉が出てきません。その代わりに自分は何かしてあげられないのか、提示できないだろうか、とずっと考えています。
私は訪問型の支援もしていますが、自分ができることは、その子と短い時間を過ごすことです。
一緒にいる時間は、色んな事を同じように感じ、それを分かち合うことはできるかな、と思っています。楽しいことをするときもあるし、何もしない時間を過ごすこともあります。時には会話さえ必要がないこともあります。
でも、その時間に二人で作った空間はそれで良いのです。
そんな想いをもって、次の訪問の約束をしています。「来週も行っていいですか」と。それがきっと、今の自分が言える言葉なのかもしれません。とても小さな約束です。でも、そんな約束にお互い想いを寄せ合えたら、と思うのです。
もしかしたら、保護者の中にはご自身の体験から、休み明けに学校に行くことは確かに辛いことかもしれないけれど、本当にそれほどまでに辛いことだろうか、と感じる方がいるかもしれません。
でも、本当に子どもはそれほどまでに辛いのです。
どうか、保護者だからこそ紡ぎ出すことができる一言を、家族だからこそ想いを寄せ合える温かい一言を、子どもに伝えてもらえたらと思います。