割れた花瓶は戻らない。
カタカタ。
カタカタカタ。
パチ。
社内フロアに響くキーボード音。
パラパラ。
書類の擦れる音。
社長椅子に座る私。
いつだろうか、私もあのようにバリバリと働いていた時があった。
新人の私に厳しく指導してくれ、社会人としての基本を教えてくれた部長はもういない。
今となっては私が指示をする側だ。
「山内社長、新提案のプレゼンが終了しました。次に始まる内容を送っておきますね。」
「そうか、ありがとう。」
そうだ、あれは確か入社して3ヶ月ほど経った頃ーー
* * *
「今回広告担当課に配属になりました、山内です!よろしくお願いします!」
「同じく広告担当課に配属になりました、佐藤です。よろしくお願いします。」
私の夢は旅行会社に勤めることだった。
高校では必死に勉強し、大学を重ね、やっとの思いで就職活動をし、ようやく受かったのがこの会社だった。
入社して初めて本格的な仕事につけると思い、胸が高まった。
「はい、よろしくね〜。君たちは2人ペアでやってもらうことになるから仲良くしってってくださいっ。はいっ、では各自よろしくね〜。」
「佐藤さんだよね?よろしく!」
「よろしく。」
佐藤さんの第一印象はすごく落ち着きのある、頭の良さそうな感じだった。
そのせいか、少し冷たく感じられる部分もありこの先2人でしっかりとやっていけるかが心配だった。
そしてその予感は近いうちに当たってしまった。
数ヶ月経ったある日
「何度も言わせないで!何で言ったことが出来ないの!?」
「集中しているときにあなたが雑務ばっかり押し付けてくるからでしょう!?こっちこそ同じことを言いたいわよ!」
お互い新入社員ということもあり、うまく仕事が進まず苛立ちを隠せずにあたってしまったのだ。
そんな言い合いの日々は三日、一週間、一ヶ月と長々と続き、気づけばお互いに話を聞かなくなっていた。
「山内、ちょっといいか」
部長に急に呼び出され、何かいけないことでもしたのかと息を飲んだ。
「お前、最近佐藤とどうなんだ?うまくやっていけてないだろう」
「それは…彼女がいけないんです!言ったこともしっかりやらないし、余所ごとばっかりして!」
ついカッとなって思ってないことも口にしてしまった。しかし彼女に苛立ちを覚えているのは事実だ。
私は悪くない。
「そ…の」
「そこ…か…ん」
「おい、山内聞いているのか?」
「っは、!はいすいません、少しぼーっとしてしまって」
「そこの花瓶、手にとってみろ。」
「こ、これですか?」
「そうだ。」
「持ちましたけど、?」
「そしてそれを床に落としてみろ。」
「こ、これを?割れちゃいますよ?」
「いいから落とせ。」
「割れたって知らないですからね。」
パリンッ!!
フロアに響き渡った音は、私に視線を注目させた。
「ちょっと部長、周りからもへんな目で見られたじゃないですか。」
「謝れ。」
「え?」
「いいから。花瓶に謝れ。」
「割れって言っておいて謝れって、」
「謝れ。」
「もう、何なんですか。…ご、ごめんなさい。」
「治ったか?」
「へ?」
「割れた花瓶は元通りになったか?」
「治るわけないじゃないですか!接着剤でも使わない限りこんなの治りませんよ。」
「そうだ。接着剤でも使わないと治らない。だが接着剤を使って治したとしても、元の花瓶とは程遠い。」
「た、確かにそうですけど、それが何か、?」
「謝ったとしても、取り返しのない状態になってしまえば元どおりにはならないということだ。佐藤と山内。お前ら2人の心の花瓶には今ヒビが入っている。しかしその花瓶はまだ割れてはいない。今ならまだ間に合う。もう一度自分を見つめて、考え直してみろ。花瓶の片付けは俺がやっておくから、仕事に戻れ。ほら、早く。」
「は、はい…。」
* * *
思い出した。
そうだ、あんな話もしてもらったっけな。
割れた花瓶は元には戻らない、か…。
その言葉のおかげで私たちは今までやって来れたかもね。
「山内社長、新提案の内容届きましたでしょうか?」
「あ、うん。届いてるよ、ありがとう。佐藤秘書、」