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いまさら映画感想② 「映画『Her』から考える愛と恋の違い」

映画『Her』から考える愛と恋の違い

最近、AIをテーマにした映画をいくつか観たが、どれもあまり印象に残るものではなかった。近未来におけるヒューマノイドの登場と人間との恋愛(?)関係を描いた作品として『エクス・マキナ』があるが、この作品においても、「AIは侮れない。気を許すな。恋愛なんてもっての外だ」といったメッセージしか伝わってこないように感じた。もしかすると、『ターミネーター』シリーズの影響もあるのかもしれない。そのため、AIをテーマにした映画にはあまり期待していなかったのだが、ある日偶然目にしたNoteのレビューをきっかけに興味を抱き、映画『Her』を観てみることにした。

ホアキン・フェニックスは実に多様な演技をこなす俳優であり、作品ごとに見せる振り幅の大きさには毎回驚かされる。映画内での細やかな感情表現はもちろんのこと、道で転んだ際の見事な受け身に至るまで、その柔軟さを見て「彼はアクション映画でも素晴らしい演技をするに違いない」と改めて感じたほどだ。

さて、映画『Her』は、人間とAIの恋愛を描いたユニークな物語でありながら、愛と恋の違いについて深く考えさせられる作品である。この映画では、主人公セオドアが人工知能のサマンサ(声: スカーレット・ヨハンソン)と心を通わせる過程が描かれるが、その関係性を通して、愛と恋という感情の本質的な違いが浮き彫りになる。

恋とは何か

恋はしばしば、「一瞬のときめき」や「相手への欲望」と結びつけられる。セオドアがサマンサに惹かれていく過程は、まさに恋の始まりを象徴している。サマンサは彼の孤独を癒し、彼の心に新たな刺激を与える存在だ。彼女の言葉や行動に胸を高鳴らせ、彼女と共有する時間を求めるセオドアの姿は、「恋に落ちる」感情そのものと言えるだろう。恋とは、自分の中に芽生えた感情に基づき、相手に対する期待や欲望が投影された状態なのだ。

愛とは何か

一方で、愛はより持続的で、相手を理解し、受け入れることに重きを置く感情である。映画の後半、セオドアはサマンサの変化を目の当たりにする。サマンサは彼以外の人々やAIとも関係を築き、進化していく存在として描かれる。このときセオドアは、サマンサに対して独占的な欲望を抱きながらも、彼女の選択や成長を受け入れようと葛藤する。この過程は、恋が愛へと移行する象徴的なシーンと言える。愛とは、相手の幸福や成長を自分の欲望よりも尊重する感情なのだ。

愛と恋の共存

『Her』が示唆しているのは、愛と恋は互いに対立するものではなく、むしろ補完し合う関係であるということだ。恋は感情の高まりとして愛の入り口となり、愛はその感情を成熟させる。セオドアとサマンサの関係は、最終的に物理的な存在に縛られない「愛」の可能性を探る形で終わるが、それでもその過程で「恋」の情熱が欠かせなかったことを示している。

人間関係への問いかけとしての『Her』

『Her』を通して見えてくるのは、恋が私たちの感情を揺さぶり、新たな関係性を築く原動力となる一方で、愛がその関係を深め、他者を真に理解しようとする行為であるということだ。この映画は、愛と恋の違いを考えるきっかけを与えてくれるだけでなく、私たち自身の人間関係における感情の在り方を問い直す力を持っている。これまでのAIをテーマにした映画とは異なり、『Her』は単なる警告にとどまらず、愛や孤独という普遍的なテーマに正面から向き合った、非常に見応えのある作品だった。


さあて、もう一回みようかな


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