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いまさら読書感想④『車輪の下』──「優等生」は幸せになれるのか?

「いい成績を取れば、将来は安泰だ」「まじめに努力すれば報われる」──そんな言葉を信じて頑張る子どもたちは、今も昔も変わらない。しかし、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』は、その「優等生神話」が必ずしも幸福につながらないことを痛烈に描き出している。

◆「優等生」でいることの代償
主人公ハンス・ギーベンラートは、勤勉で素直な少年だ。周囲の大人たちの期待を一身に背負い、神学校への進学を果たす。しかし、厳格な教育と過剰なプレッシャーの中で、彼は徐々に追い詰められていく。勉強に打ち込むほど、彼の世界は狭まり、「生きる楽しさ」が失われていくのだ。

この姿は、現代の受験戦争や学歴競争に苦しむ子どもたちと重なる。高得点を取るために遊びや趣味を犠牲にし、失敗を恐れて自分らしさを押し殺す──そんな「優等生」は、果たして本当に幸せなのだろうか?

◆「教育は誰のため?」
ハンスの物語が胸を締めつけるのは、彼が決して「怠け者」ではないからだ。むしろ、彼は真面目すぎた。大人たちは「お前のためだ」と言いながら、実際には自分たちの理想を押しつけていたのではないか。

これは単なるフィクションではない。教育は本来、子ども一人ひとりの成長を支えるもののはずだ。しかし、産業や社会の要請によって、時に「管理しやすい人材を育てる」ことが目的化してしまう。過去の工業化社会では、時間通りに動き、言われたことを忠実にこなす労働者を育成するために、学校教育は画一的なものになった。そして現代では、「良い学校→良い会社→安定した生活」というルートが成功の象徴とされ、多くの子どもたちがそこに押し込められている。

◆「自分らしく生きる」ことの難しさ
物語の中で唯一、ハンスが心から笑うのは、自由奔放な友人ハイルナーと過ごす時間だ。彼との交流を通じて、ハンスは「勉強以外の世界」に触れる。しかし、彼はその生き方を選び取ることができなかった。

この結末が示すのは、「自分らしく生きる」ことの難しさだ。自由を知っても、それを手に入れるには勇気と環境が必要だ。そして、時に社会はその自由を許さない。

◆『車輪の下』が問いかけるもの
ヘッセは、本書を通じて教育のあり方に鋭く切り込んでいる。しかし、単なる「教育批判」にとどまらない。これは、「人が本当に幸せになるには何が必要か?」を考えさせる物語だ。

優等生でいること、周囲の期待に応えることが、必ずしも幸せとは限らない。では、何が幸せなのか? それを探し続けることこそが、本当の「学び」なのかもしれない。


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